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長野市松代町の浄土宗 送経山西念寺にある花井吉成の墓。
吉成は徳川家康の六男松平忠輝の家老として松代に入り、慶長15年(1610)忠輝が越後高田藩主となった際に、領有していた北信4郡を支配するため、松代城代となりました。
吉成は、北国街道の改修や、裾花川を現在の川筋に替える「裾花川の瀬替え」を行ったほか、用水の配置するなど土木事業において功績を残し、領民からも親しまれたと伝えられています。
(写真:西念寺にある花井吉成の墓=3月21日撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 史跡 花井吉成の墓
花井吉成(~一六一三)は、徳川家康の六男、松平忠輝が慶長八年(一六〇三)に北信濃四郡(水内、高井、更科、埴科の各郡)を領有したときに松代城に入り、この地の行政にあたった人物である。北国街道の整備、裾花川の改修などの土木工事の実施や新田開発をおこなったとされる。同十八年(一六一三)八月二十一日に当地で没し、西念寺に葬られた。
西念寺は、吉成が松代に入封以降縁が深くなり、このため寺内に墓がある。墓石には吉成の法号「摩尼宝殿覚月正徹大禅定門」と刻まれていて、宝篋印塔(※ほうきょういんとう)という形式をとる。
二段の石壇の上に据えられていて、基壇は高さ二九・五cm、基礎は高さ二一cmで、基礎の周辺を額縁状に刻んでいる。塔身は幅二〇cm、高さ二七cmで、四面に楕円形の彫り込みがあり、その中に四方四仏(しほうしぶつ)の種字(しゅじ)が刻まれている。笠部は下二段、上四段に段をつけ隅飾りの突起の輪郭を二つの弧で巻く。最上部には露盤の上に筒状の受花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)をおき、さらに九輪(くりん)を立てる。江戸時代初期に建立されたと考えられている。
(長野市教育委員会設置の案内板から)
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