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150816_1224_中島閘門(富山県富山市) 150816_1228_中島閘門(富山県富山市)
中島閘門 下流部の閘門
150816_1230_中島閘門(富山県富山市) 150816_1232_1_中島閘門(富山県富山市)
上流部から見た運河(左)と操作盤(右) 
150816_1223_中島閘門(富山県富山市) 150816_1232_2_中島閘門(富山県富山市)
運河の説明(左)と建設中の運河の様子(右)

昭和初期に建設された富岩運河に設けられたパナマ運河式の閘門(こうもん)。
昭和9年(1934)に完成。建設当初の扉体等の老朽化により、平成9年(1997)から原形復元を基本方針に改修工事を進め、翌年復元改修工事が完了。同年、昭和の土木構造物では全国で初めて国の重要文化財(近代化遺産)に指定されました。
(写真:中島閘門=16日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料>
国指定重要文化財 富岩運河 中島閘門
閘門の概要
中島閘門は、富岩運河の開削にあわせて設置され、運河上流に工場が誘致されたことから、当時の工業用原料を運ぶ船が往来するなど、運河のシンボルとして富山市の発展に大きな役割を果たしました。
この閘門は、運河の河口から約3.1km上流に位置(地図)し、およそ2.5mの水位差を二対の扉で調節するパナマ運河式の閘門で、ヨーロッパにおいては中世から近代にかけて発達した水運技術を取り入れたものです。
閘(こう)室・扉(ひ)室は、昭和初期の土木技術を用いた石組み、鉄筋コンクリート造りで地震に強い構造となっていおり、扉体は今では珍しいリベット接合(約15,000本)により造られています。
この他、この閘門は海と川との生物の接点となっており、下流側にはコノシロ、アユ、ボラ、ミミズハゼなどの海が遡上してくる魚が、また上流側ではメダカ、フナ、オイカワなど川からの魚が生息しています。
富山県では、平成9年から閘門の改修工事を進め、この度復元が完了しました。

(沿革)
昭和3年(1928年)
富山県の豊富な電力を活かした工業地帯を形成するため、富山港から富山駅北を結ぶ富岩運河計画が、富山市都市計画事業の1事業として認められた。
昭和5年(1930年)
県施工の運河事業として着工した。
(エキスカベーカーという蒸気機関の堀削機が2台投入された。)
昭和9年(1934年)
富岩運河、中島閘門完成。
平成元年(1989年)
富岩運河環境整備事業に着手。
平成10年(1989年)
建設当初の扉体等が老朽化したことにより、原形復元を基本方針として、64年ぶりに改修工事を行った。

(構造)
・閘門の形式:鋼製マイタゲート(合掌式)
・閘門の有効長:60.6m
・閘門の有効幅:9.09m
・閘失の深さ:6.27m
・閘失、扉室の構造
 天端および扉室まわり:石組み(花コウ岩)
 側壁・底部:コンクリート(一部鉄筋使用)

<参考資料> 富岩運河
①神通川の馳越線工事
富山市の中心部を流れる神通川は、明治の中頃まで、富山城の北側で大きく蛇行していたため、大雨のたびに溢れていました。
このため、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの提案を受け、明治34年(1901)~36年(1903)神通川の蛇行区間の西側に、洪水を流す直線状の水路を建設し、川の流れを直線化する「馳越線(はせこしせん)工事」が行われました。
この水路は、洪水の時に自然の力を利用して少しずつ幅を広げていくもので、大正年間には、現在のように、完全に流れを移し替えました。
②富山都市計画事業と富岩運河
神通川の馳越線工事の結果、元の神通川はわずかに松川を残すのみで、広大な廃川地が富山駅と市街地の間に横たわり、都市の発展に大きな障害となっていました。
このため、昭和3年(1928)、東岩瀬港(現在の富山港)から富山駅北まで約5kmの運河を作り、運河を掘ったときの土砂で神通川の廃川地を埋め立て、新市街地を作る計画を作成しました。
「富岩運河」は、富山県ではじめて都市計画事業の一環として、昭和5年(1930)から建設を行い、昭和9年(1934)に完成しました。運河の建設により、運河に沿って、工業地帯が形づくられ、かつての神通川の跡地には、県庁や市役所などが建ち並ぶ、新しいまちが生まれ、富山の都心が形づくられました。
③富岩運河の危機と再生
昭和30年代半ばから、物流の中心がトラック輸送となってくると、運河の水運機能は失われ、水も汚れてきたため、一時は運河を埋め立てる計画が立てられましたが、その後、県はこれを見直し、まちなかの貴重な水面を保存・活用する方針へと転換しました。
昭和60年(1985)以降、汚れていた水をきれいにし、岸辺に散策路を設けるなど、富岩運河の保存・再生に取り組み、さらに使えなくなっていた中島閘門と牛島閘門を建設当時の姿に復元しました。
④運河のまち 富山へ
保存・整備された「富岩運河」は、現在、市民の憩いの場としてイベントを中心にさまざまに使われています。また、平成16年には、運河沿線の自治振興協議会を中心に「運河のまちを愛する会」が設立されました。
これからの「富岩運河」が、みなさんに親しまれ、にぎわいを生み出す場となり、「運河のまち富山」をして知られるようになることを目指しています。
(富山県富山港事務所設置の案内板から・平成17年)

<参考資料>
操作室の復原工事
本操作室は、昭和9年(1934年)の建設後、多年の風雪等により、建物内外の老朽化が著しかったことから、文化庁の助成と指導を得て保存修理を実施し、創建当初の姿に復原しました。
保存修理としては、創建当時の建物に復原することを基本に、外観の補修、基礎・木部の補修、屋根の葺き替え、建物の耐震補強(基礎・輪郭)に加え、後年、改造されたアルミサッシを木枠のガラス窓にするなどの工事を行い、平成22年(2010年)8月に完成しました。

操作室の特徴
・操作室は閘門内を監視できるよう3方向を大きなガラス窓にしています。また、外観は切妻屋根に着色した瓦で葺かれており、妻には破風板(注:妻面の合掌形の板のこと。棟木や軒桁を隠す化粧材。)・ガラリ(注:羽板を取り付けた換気を目的とする開口部のこと。)を付けて装飾、外壁はドイツ壁(注:モルタルを壁に叩きつけて定着させ質感のある仕上がりにした壁のこと。)・洗出壁(注:砂利などが壁表面に出るようにモルタルを洗い出した壁のこと。)とするなど、全体を洒落た構えとしています。
・閘門の操作や治水のため、24時間体制で管理できるよう和室や、当時としては珍しい内風呂が備わっています。
・創建当初の操作盤が現在もそのままの姿で残っており、黒色の重厚な大理石パネルに、尺度法で目盛りが刻まれています。

操作盤
この操作盤は、閘門扉と閘門室内の水位を調整するための通水扉を開閉させるもので、操作員は、開門側を向いて作業ができるように設置されています。
計器パネルは、上流。閘門室内、下流のそれおzれの水位を知ることができ、その下にある開・閉・停止スイッチにより上下流の閘門扉と通水扉をそれぞれ操作できます。
また、閘門とは別に右岸にある放水紋を操作するスイッチも設置されています。
この操作盤は昭和30年代まで使用されていましたが、その後、新しい操作盤を使用しています。

盤の大きさ:横幅1.818m、奥行き1.042m、高さ1.318m
構造:鋼製、パネルは大理石製
目盛:尺貫法





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