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130713_1229_ひがし茶屋街(石川県金沢市)

石川県金沢市東山に残る重要伝統的建造物群保存地区になっているひがし茶屋街( emoji 地図)。江戸時代の文政3年(1820)に加賀藩により整備された町並みには、当時の建物が残り、手仕事の魅力を伝える金沢有数のスポットとして全国各地から多くの観光客が訪れています。今回はその茶屋街へ…。
(写真:石川県金沢市のひがし茶屋街=7月13日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 金沢市観光協会
  http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/


石川県金沢市 ひがしやま茶屋街 (7月13日)
130713_1217_浅野川大橋から梅ノ橋・天神橋を望む(石川県金沢市) 130713_1223_ひがし茶屋街・ヤマト醤油味噌東山直売所(石川県金沢市)
浅野川大橋から望む梅ノ橋・天神橋 ヤマト醤油味噌東山販売所
130713_1234_ひがし茶屋街・茶屋美人(石川県金沢市) 130713_1234_ひがし茶屋街・十月亭(石川県金沢市)
金箔専門店「箔座」 茶屋美人 十月亭
130713_1244_ひがし茶屋街(石川県金沢市) 130713_1245_ひがし茶屋街・かなざわ美かざりあさの(石川県金沢市)
ひがしやま茶屋街 金箔専門店 かなざわ美かざり あさの


<参考資料> 卯辰山麓地区の町並み
卯辰山と旧北国街道(国道359号)に挟まれたこの地には、慶長期から延宝期(1596~1681)にかけて、寺院群が概ね形成されたと考えられています。寺院群と周辺の町場から成る寺町のうち、町割が改変された「ひがし茶屋街」を除く範囲が、卯辰山麓伝統的建造物保存地区となっています。
藩政期からの細街路や町割が今も色濃く残り、傾斜のある地形により曲折した街路には寺社が配されています。また、旧北国街道から各寺院に向かう東西の参道や、それらを結ぶ南北の街路沿いには、伝統的な町屋が建ち並び、寺社と町屋が混然一体と景観を有しています。
寺院の集積する区域では、街路に沿って連続する築地塀と石段を構えた寺院が建ち並びます。「七面小路」と呼ばれる通りからは、いくつもの寺院山門を見ることができます。一方で、町屋が集積する区域もあり、旧北国街道に平行し材木問屋が集積していた「旧木町」や、観音院の門前町として賑わいを見せた「旧観音町」などがあります。
平成23年、卯辰山麓地区は重要伝統的建造物保存地区に選定され、歴史的な町並みの保存と住環境の整備を進めています。

卯辰山麓地区の寺院本堂は、切妻造・平入型の外観で、方丈6室型の平面を持つ形式が大半を占めます。一部に見られる緩やかな直線尾根は、板葺き石置き尾根の名残を残すものです。一方で、切妻造・妻入型で式台玄関を設ける形式も見られ、正面の妻面に梁を何段にも重ねる妻飾りなど、寺院本堂の風格を備えています。
神社建築は、いずれも明治以降の再建です。本堂、幣殿、拝殿を接続する複合型社殿であり、本殿が一間社であるなど、近代の神社建築の特徴を良くあらわしています。
寺社以外の伝統的な建築は、切妻造。平入型で桟瓦葺とする町屋形式のものが大半を占めます。かつての板葺き石置き尾根の勾配を残し、金属板葺きとするものも見られます。袖卯建、軒裏の意匠、2階正面開口部の意匠など、金沢におけるそれおzれの時代の町屋の特徴を良くあらわしたものが多く残っています。

周辺の町並み
卯辰山麓伝統的建造物保存地区い囲まれた「ひがし茶屋街」と浅野川大願の「主計町茶屋街」には茶屋建築が連なり、華麗な茶屋文化を今に伝える町並みが、重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
卯辰山麓地区と浅野川に挟まれた「旧御歩町」には、武士系の建物や土塀など、かつての面影を残しています。対岸には、同じく武士系の町並みである「旧彦三一番丁・母衣町」や、商家の連なる「旧新町」の町並みがあります。
また、城下町を守った惣構の跡が、主計町緑水苑や浅野川大橋南の枯木橋詰遺構に見ることができます。

<参考資料> 東山ひがし 重要伝統的建造物群保存地区 
藩政時代、金沢城下への入口にあたる北国街道の浅野川・犀川両大橋界隈には、お茶屋が建ち並んでいた。文政三年(一八二〇)になり、正式に加賀藩の許しを得てこの「ひがし」の茶屋町が犀川外の「にし」と共に開かれ、以来城下随一のにぎわいを見せた。
通りに面して一階を揃いの出格子・座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする姿のお茶屋は並ぶ町並みは、藩政末期以来の茶屋町の特徴を良く残している。
今も夕暮れ時には芸妓衆が行き交い、どこからともなく笛や三弦の音が聞こえる風情あふれる茶屋町である。 (平成13年11月14日選定)


130713_1230_ひがし茶屋街・国指定重要文化財「志摩」(石川県金沢市)
国重要指定文化財 志摩

<参考資料> 国重要指定文化財 志摩(しま)
所在地  金沢市東山一丁目一三番二一号
建築年代  文政三年
構造    木造二階建(一部三階) 切妻造り、瓦葺き

文政三年(一八二〇)茶屋町創設当初に建てられた茶屋建築である。「茶屋建築」は二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴である。
一、二階の座敷廻りには要所に「表皮柱(めんかわばしら)」と呼ばれる丸太の肌を残した柱を用い、漆にて全体に濃い色づけをほどこし、弁柄色の土壁や具象的な図案の金物等で、独特の瀟洒(しょうしゃ)で華やかな室内を醸し出している。
全国的にも類例の少ない茶屋建築であり、江戸時代後期における庶民文化の一端を知るうえでも貴重な建物である。
平成一五年三月二五日に国の重要文化財に指定された。


130713_1231_ひがし茶屋街・玉匣(石川県金沢市)
和小物・金澤クラフト アート&ジュエリー 玉匣

<参考資料> 玉匣(たまくしげ)
「ひがし」は藩政期の一八二〇年(文政三年)に形成された由緒ある茶屋街であり、伝統的建造物群保存地区に指定されています。
「玉匣」は、茶屋街創設時からのお茶屋の建物の風情を残し、現在にふさわしく再生修復した店舗であり、二階には料亭「中むら」が今も変わりなくお茶屋として親しまれ営業を続けています。
店名に冠した玉匣とは、「万葉集」に初出する宝石箱を意味する言葉であり、金澤が世界に誇る伝統的な者や建築はもちろんのこと、その「こころ」を継承していく「金澤の宝石箱」でありたいという想いが込められています。
「アートと暮らし」をテーマに、金澤ゆかりの若手工芸作家のクラフト作品やアクセサリー小物など、暮らしを彩る「金澤の逸品」から、ジュエリー・宝飾品などの「世界の逸品」までを紹介、若きアーティストとともに「伝統とデザインの融合」を紡ぎだすラボラトリーショップとして展開していきます。


130713_1232_ひがし茶屋街・懐華樓(石川県金沢市)
金沢市指定保存建造物 懐華樓

<参考資料> 金沢市指定保存建造物 懐華樓
所在地 金沢市東山一-十四-八
ここひがし茶屋街は文政三年(一八二〇年)加賀藩の政策により整備され、天保二年(一八三一年)に一度廃止されるが慶応三年(一八六七年)再び茶屋街として公認された。
創立当初の記録によると「志ま屋」となっているが明治三十九年(一九〇六年)
「金沢廓の栞」に「越濱」に名があり昭和初期まで続いていたと思われる。その後さらに返遷を重ね現在に至っている。
この建物は江戸時代後期の茶屋街建築の様式を伝えるもので間口六間、奥行十二間の規模はこの界隈で最も大きく、お茶室用入口や土蔵も備えており、格式も高く当時の栄華をしのぶうえでも歴史的価値の高い貴重な建造物である。
(金沢市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 金沢市指定保存建造物 旧越濱
種別 日本建築
指定 平成三年四月二十二日
切妻、平入り、二階建てで、裏には土蔵がある。一階の「みせの間」の出格子と、背の高い開放的な二階が特徴である。この地区では最も規模の大きな建物の一つで、周囲の家並みとともに、近世茶屋町独特の雰囲気を伝えている。

<参考資料> 金沢が誇る金箔文化と茶屋街文化との出会い
ひがし茶屋街は藩政期から栄、木虫籠(きむすこ)と呼ばれる木格子の意匠が、今も時代を超えて風情を奏でます。その姿をもっとも色濃く伝える建物に、日本を代表する金箔文化が不思議な縁を結び合わせました。世界ではじめて完成された純金プラチナ箔が、伝統的な建築に重厚な輝きを加え、新たな魅力が現代に再生され、やわらかに悠久のときを語り継ぎます。
(純金箔製造処箔座設置の案内板から)


130713_1233_ひがし茶屋街・友禅ギャラリー久連波(石川県金沢市)
友禅ぎゃらりー久連波 茶房くれは

<参考資料>
一階を町並み揃いの出格子とし、二階は雨戸を設ける茶屋建築独特のこの建物は、芸の道にいそしむ華やかなお囃子が聞こえてくる情緒ある「ひがし茶屋街」特有の雰囲気を醸し出しているお茶屋でした。
金沢市まちなみ保存対策の意に沿いつつ、一部改築したものです。以前は、一軒の建物を二軒で使用し、井戸は角家に掘り、隣家に供給していた割家(柱の中心が境界線)でした。さらに、この建物は二階の床の部分が隣家の境界線上をせり出し、縁側は角家のため道路上に一部がせり出している珍しく貴重な建築様式です。
格子は、加賀格子木虫籠(キムスコ)と称され、この地方固有の様式であり、極めて細かく外部から見通しにくく、内部から見通し易く出来ています。
当店は、日本文化の貴重な町並みを保存しつつ、伝統工芸加賀友禅の展示・小物ギャラリー、及び茶房となっております。中でも友禅作家の夢である染めパネルを駆使した茶房でのひととき、又、二階座敷での優雅で美しい友禅のご観覧は、必ずや金沢の旅の思い出になることでしょう。どうぞお気軽に、ひがし茶屋街の情緒ある風情をお楽しみ下さい。
(友禅ぎゃらりー久連波 茶房くれは 設置の案内板から)

<参考資料> 金沢市指定文化財 旧かみや主屋・土蔵
種別 有形文化財 建造物
指定 平成二十四年三月十二日

「旧かみや」は、明治六年(一八七三)頃の建築とされる茶屋建築です。
主屋は瓦葺き二階建て一部三階建てで、外観は一階に出格子、二階は階高が高く雨戸と戸袋を備えるなど、茶屋建築の特徴を良く表しています。内部は二階正面や中庭に面して、客をもてなす座敷や離れを配置しています。玄関の舟板や店の間の下地窓など数寄屋風の意匠が各所に見られ、襖の引手や長押の釘隠の意匠も変化に富んでいます。
土蔵は二階建て、瓦葺きの置き屋根形式で、外観は基部を戸室石の切石積み、腰を薄青色の凝灰岩系の石張り、上部を白漆喰壁とし、窓に雨風除けの霧除を付けるなど、金沢で見られる土蔵造りの形式を踏襲しています。
「旧かみや」は、明治初期の茶屋建築の外観と間取りの特徴を良く残す貴重な建物であり、あまた、建物を店舗活用する際、内部の建具等を土蔵に保管し旧状への復原を可能とするなど、保存と活用を両立する事例としても評価されています。 
(金沢市設置の案内板から)

<参考資料> 旧中屋
この建物は、文政三年(一八二〇年)に建てられた茶屋建築で、創立時は「中屋」と称した。
外務の格子は目の細かい木虫籠(きむすこ)で腰は越前石が用いられている。一、二階の庇は軒の出が少なく、全体として優美な外観を呈し、玄関の大戸を含む拗ねてが弁柄(べんがら)仕上げを残している。
内部は往時の間取りを忠実に残し、優雅で繊細なお茶屋の造りとなっている。前二階及び広間の座敷は赤い弁柄(べんがら)、はなれは鮮やかな群青(ぐんじょう)の壁である。また造作材は漆塗りで、お茶屋特有の「粋(いき)」を感じさせる大変貴重なものである。 (案内板から)


130713_1238_ひがし茶屋街・宇多須神社(石川県金沢市)
宇多須神社

<参考資料> 200年前のひがし茶屋町
卯辰八幡宮:明治年(一八七三)年西町現在の尾山町へ移り尾山神社を改称されました。
宇多須神社:隣にあった卯辰神社が卯辰八幡宮の跡地に移り宇多須神社と改称されました。
東山菅原神社:卯辰菅原神社が近年東山菅原神社と改称されました。
矢の根川:安宅の関所を通り抜けた源義経と弁慶一行が文治四(一一八七)年当地へたどり着き隠し持った武具、矢の根を洗ったことから、後にこの川を矢の根川と云われようになったと云う伝説があります。そうしてこの川は今も町屋の床下を潜り道路を暗渠となり浅野川へ注いでいます。

<参考資料> 重要伝統的建造物群保存地区 東山ひがし界隈
ひがしの興りと歩み
130713_1250_ひがし茶屋街案内板(石川県金沢市)
水溜の遺構(案内板から)
江戸時代、このあたりは金沢城下から越中を結ぶ北国街道の下口として人や物資が行き交うとともに、観音院を初めとした卯辰山山麓の寺社で行われる行事や門前町の茶屋で楽しむ人々などで大いににぎわいました。
加賀藩はこのような町人達の風俗を取り締まり、武家社会の治安を保つことを目的に、文政三年(1820)、地域を限った茶屋町を正式に認めたことで、ここ「ひがし」に茶屋町が設けられ、卯辰茶屋町とも浅野川茶屋町とも呼ばれていました。
その後、茶屋町は天保二年(1831)に一旦廃止になったものの、幕末の慶応三年(1867)には再び公認され、明治以降は「東新地」・「ひがし」と呼ばれ、市内随一の格式とにぎわいが誇る茶屋町として、今日に至るまで金沢の茶屋文化を受け継いでいます。

ひがし防災広場
「ひがし」は今も特徴ある茶屋様式の町屋が連なる美しい町並みであると同時に、伝統的な木造家屋が細い路地に並んでいるため、防災機能の向上が重要になります。
この広場は藩政期より水溜として利用された場所であり、このたび防火水槽の耐震化を行うとともに、地区の防災拠点広場、また来訪者が休憩できる緑地として整備を行いました。

水溜の遺構
左図のとおり、文政十三年(1830)の『金沢測量図籍』には、南北三間五三(約6.42m)×東西七間(約12・6m)の水溜と思われる描写が見られ、当時から防止用のため池として利用されていたものとも考えられます。
この絵図の場所にあたる当地で行ったこの度の工事において、水溜のものと考えられる石積みを確認しました。石積みは、地表より約2mの深さから立ち上がる二段築造(複断面)で、枕形の野石(河原石)を使用し、1列ずつ上面を揃える「布積み」で積まれていました。
なお、この石積みは記録調査を行った後、壊すことなく地中に保存しました。
(金沢市歴史建造物整備課設置の案内板から)

<参考資料> 円長寺
藤嶋山と号し、真宗大谷派に属する。
開山は、越前国藤島村(福井県福井市)超願寺の僧・道清によるもので、天正一四年(一五八六)、大鋸屋町に創建したことが当時の起こり。その後、慶長元年(一五九六)、当地において建立した。
由来によれば、加賀藩三代三種・前田利常が卯辰山周辺の鷹狩りを行った際に、たびたび小休憩所としてこの寺を利用したと伝えられている。その縁により没後、利常の位牌を守り、現在も安置されている。そのため剣梅鉢の袈裟使用などが許されている。
六角造りの一切経蔵は、慶長元年(一八六五)閏五月御輪堂として建立され、現在も一切経が大切に保管されている。 (案内板から)





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無題
ひがし防災広場に関しての記述ですが、防災水槽ではなくて防火水槽なのでは?金沢市の資料にも防火水槽の整備といったような記述があったと思います。
名無しの権兵衛 2014.05.15.Thu 08:16 編集
防災水槽→防火水槽
ご指摘いただきありがとうございました。確認しましたところ、防災水槽ではなく、防火水槽の誤りでした。修正が遅くなりまして申し訳ありませんでした。
2014.05.25.Sun 09:14
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