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111126_1432_1_北陸道・市振関址(新潟県糸魚川市)

新潟県糸魚川市青海町の市振小学校(地図)に残る市振関所跡。
「奥の細道」を旅する松尾芭蕉が市振に宿泊したのは元禄2年(1689)7月12日のこと。
一つ家に 遊女も寝たり 萩の月
親不知子不知の難所を抜け、辿りついた市振の宿で残した作品です。
(写真=平成23年11月26日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 糸魚川市ホームページ
  http://www.city.itoigawa.lg.jp/

<参考資料> 市振関所址

111126_1431_2_北陸道・市振関址(新潟県糸魚川市)
北陸道・市振関所跡
(案内板から)
江戸時代初期徳川幕府は、重要な政策の一環として全国に五十三の関所を設け、街道行旅の人々を取り締まった。
「市振の関」はその五十三関中重要二十三関の一つであった。親不知・子不知の険難の地を東方に控え、北陸道に於ける越中との国境の要衝として寛永(一六二四~)年代のはじめ幕府は高田城主松平光長に命じて、ここに関所を設けた。

関所関所で髪改める 娘十七髪解けん  今に伝えられる。

この関所の特徴は行旅の人々の検問のための番所と、海上監視の遠見番所から成っていたことである。
その敷地は集落の西方、東西に延びる街道を挟み、東西二十一間、南北九十五間で面積は六反六畝十五歩であった。その中に「番所」「上役長屋」「足軽長屋」「遠見番所」「井戸」等があり、また西門近く「馬ノ足洗井戸」があった。
なお、現存する市振小学校校庭内の榎(※えのき)は、関所敷地内にあったもので、昭和四十九年四月十六日「関所榎」として青海町文化財に指定する。

「榎」「馬ノ足洗井戸」「井戸」については、青海町文化財調査審議会委員長蛭子健治氏の調査結果、明らかになったものである。 (糸魚川市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 糸魚川市指定文化財 天然記念物 関所榎
エノキはニレ科の落葉高木で、北海道から九州の各地に広く見られます。雌雄同株で四月から五月にかけて若葉と同時に小さな花を咲かせ、九月過ぎには球形で赤褐色の果実をつけます。
エノキは古くから神の宿る樹と信じられ、境内、屋敷、村境などはもちろん、江戸時代には街道の一里塚などにも植えられ、旅人の目印や木陰となっていました。
本樹は、樹高十七・五メートル、目通り幹周り四・六メートルにおよび、樹齢推定二五〇年以上とされる古い巨樹で、このエノキの生えている校庭にはかつて、北陸道の市振関所がありました。明治期に関所は撤廃されましたが、往時の北陸道と関所を今に伝える貴重な遺産です。 (糸魚川市教育委員会設置の案内板から)


北陸道・市振関所址 (11月26日)
111126_1432_2_北陸道・市振関址(新潟県糸魚川市) 111126_1431_3_北陸道・市振関址(新潟県糸魚川市)
北陸道・市振宿 関所址に建てられた高札と関所榎




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