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090411_0638_徳本水と今村の信仰遺跡(辰野町)

「徳本水」は、上伊那郡辰野町と塩尻市を結ぶ国道153号線沿いの崖下(地図)に湧く清水で、今でも大勢の人たちが水くみに訪れることで知られています。湧水の横に車4台程度が駐車できるスペースが設けられています。 (写真=11日撮影)

<参考資料> 「徳本水」と今村の信仰遺跡
横川川の急流に削られたこの地は、古来、伊那谷南北交通の要衝で、除け端(よけばな)と呼ばれた難所であった。かの東山道もこの地を通り、旅人が休息する水場でもあった。
岩間より滾々(こんこん)と湧き出る清水は「徳本水(とくほんすい)」と呼ばれ、この霊水で人々の病を治したという徳本の話を伝えている。ここでは江戸初期の名医永田徳本と江戸中期の名僧徳本上人が混同され、信仰の対象にもなって、徳本上人の座像や「南無阿弥陀仏」の名号碑(みょうごうひ)など関連の石造物も多い。
小屋場と呼ばれる崖上の平は、徳本が草庵を結んだ所と伝え、戦国時代にはこの山に築かれた龍ヶ崎城の水の手が想定されている。
今村の村境にもあたるこの地は、村人の信仰を伝える辻遺跡でもあり、水場脇の一、二番の観音像に始まり尾根や村中を巡って西国三十三札所観音を巡拝することのできる石仏群をはじめ、善光寺・妙義山・戸隠山永代年参塔や大神宮月参供養塔、庚申塔、馬頭観音像、常夜灯など、多くの石仏群が集まる。戦前には、「湯を結ぶ誓いも同じ石清水」の芭蕉句碑や小屋場に公園も整備された。
「徳本水」は、湧水の名のみにとどまらず、このあたり一帯を示す名称として村人に親しまれ、近世村落の信仰を今に伝える史跡として貴重である。 (辰野町教育委員会設置の案内板から)





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日本最古の道祖神があることで知られる辰野町沢底にある福寿草群生地のイベント。

第7回沢底福寿草まつり
[ 期間 ]
・ 平成21年2月21日~22日
  鑑賞期間:2月下旬頃
[ 時間 ]
・ 9:00~15:00
[ 場所 ]
・ 上伊那郡辰野町沢底
  沢底入村ふれあいセンター
[ マピオン地図 ]
・ 上伊那郡辰野町大字沢底
[ 参考HP ]
・ 辰野町ホームページ
  http://www.town.tatsuno.nagano.jp/
[ 問い合わせ ]
・ 辰野町観光協会事務局 役場 産業振興課内
  TEL 0266-41-1111





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080820_1306_樋口次郎兼光の墓(辰野町)

樋口次郎兼光(ひぐちじろうかねみつ)は、木曽義仲に従い倶利伽羅峠の戦いなどで活躍した平安時代末期の武将。近江国粟津(滋賀県大津市)で、源範頼・義経の追討軍に敗れ、義仲とともに戦死したとも、義仲討死の報に接し、京に戻った後に捕らえられ殺されたなど、その最後をめぐっては諸説伝えられています。
辰野町樋口(地図)は、兼光が館を構えていた場所で、兼光死後、家来が遺髪を形見に戻り、真言宗香蓮寺に納め菩提を弔いました。
兼光の遺児兼重は辰野のこの地で育てられ、その子孫からは、上杉謙信・景勝の名参謀として知られる直江兼続(なおえかねつぐ)を輩出しています。 (写真=20日撮影)

<参考資料>
樋口次郎兼光は、信濃権守中原兼遠の次男で、清和源氏の子孫である。兼光は当樋口の樋前に居城したので、世に樋口次郎兼光という。彼は弟の今井四郎兼平や根井行親、楯親忠と共に、旭将軍義仲の四天王といわれた武将で、武芸力量共に抜群であった。また義仲に仕えて勇名を馳せた女丈夫巴御前は兼光の妹である。権勢を誇った平氏の勢力が漸く衰えかけたのを見ると以仁王(後白河法皇の子)は平氏追討の命を下した。諸国の源氏は之に応じ一挙に京都へ攻め入ろうとした。八百年前のことである。
義仲は威風堂々一族郎党を引き連れ、木曽を出て北陸路を一気に京へ攻め上った。途中有名な「くりから谷の合戦」で義仲軍の奇襲により平家は大敗を喫し、京へ逃げ戻った。義仲はこれを急追し京都に迫ったので、平家の一門は遂に幼帝安徳天皇を奉じて西国へ都落した。京とに天皇がなくなると、義仲は以仁王の王子北陸の宮を建てようとしたが許されず、加えて部下の粗暴な振舞いが目立ち人心が不安に陥った。そこで後白河法皇は勅使を鎌倉に送り、義仲追討の命を下した。頼朝は弟の範頼、義経を大将として京都に攻め上らせた。有名な宇治川の先陣争いはこの合戦である。ところが義仲軍利にあらず、六条河原の戦に敗れ部下武将と共に粟津ヶ原で露に消えた。
時に樋口次郎兼光は三十五歳、寿永三年正月二十五日のことであった。
現在粟津ヶ原に義仲寺と称する小寺院あり、当時の戦死者の霊を弔っている。義仲とその後に臨み巴御前に「義仲は死ぬまで婦人を伴っていたと後世の人に言われるのは甚だ口惜しい。」と言って巴御前を郷里にかえし後世を弔わせた。巴御前は信濃に帰り後、越後に行って髪を落し尼となって、義仲に遺命に従った。兼光の従臣は彼の髪を形見に郷里に帰り、当地の菩提寺真言宗香蓮寺に納め菩提を弔った。この時六歳の遺児左近兼重この地に養育された後、鎌倉幕府から領地を課証されたという。 (樋口区・八百年奉賛会建立の案内板から)





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いよいよ松尾峡のホタルたちが乱舞する時期となりました。
ちなみにホタルは蒸しむしした晩に発生することが多いとのこと。
管理人もホタル探しに出かけてみようかな。

 第60回辰野ほたる祭り
[ 期間 ] 平成20年6月21日(土) ~ 29日(日)
[ メインイベント ] 平成20年6月21日(土)
[ 時間 ] 17:00 頃から
[ 場所 ] JR飯田線辰野駅前周辺
[ 参考HP ]
・ 辰野町ホームページ
[ 内容 ]
・ ほたるのお宿うつし
・ 獅子舞など
[ 問い合わせ ]
辰野ほたる祭り実行委員会 TEL 0266-41-1111


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ホタルの里として知られる松尾峡の辰野町ほたる童謡公園で菜の花が満開になっています。
この菜の花は、平成19年10月に地元の企業経営者や商店主、主婦らが設立した「特産品開発と町おこしを考える会」の皆さんが地域の活性化を目的にタネを蒔き育ててきたもの。
5月3日と4日の二日間、初めてのイベントを開催する予定で、コンサートやもちつき大会が行われるそうです。(写真=26日午後2時40分撮影)

080426_1447_辰野町松尾峡の菜の花(電車)

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