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130503_1010_阿島陣屋・曙月庵(喬木村)

下伊那郡喬木村阿島の阿島陣屋跡(地図)に現存する当時の建物。
(写真:阿島陣屋に唯一現存する建物「曙月庵」=3日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 喬木村ホームページ 
  http://www.vill.takagi.nagano.jp/

<参考資料> 阿島陣屋跡
知久大和守頼氏の子則直が関ヶ原の戦の翌年即ち慶長六年(一六〇一)阿島三千石の旗本としてここに館を築き、以来二百七十年間この地を領知していた陣屋の跡である。
知久氏は鎌倉時代、伊那郡知久平にあり、のち神之峰城に移り、ついでこの地に居住した。阿島初代則直より十一代頼謙の子頼温の代に明治維新となり、同二年(一八六九)版籍奉還と共に陣屋は廃止となり建物も悉く取毀され、現存するものは一小楼のみである。
広さ東西約百四十五メートル、南北約百十メートル、面積一万六千平方メートル(約五千坪)である。 (喬木村教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 曙月庵
慶長六年(一六〇一)一月徳川幕府直参の旗本としてこの地を領した阿島知久氏初代則直は、ここに陣屋を築いた。以来十一代頼謙に至るまで二百六十七年間、三十数棟に及ぶ建造物が存在した。
明治となり版籍奉還で建物のことごとくが取り壊される中、知久家の住居とするために書院造り二階建て数寄屋のみが偶然に残されたものである。
この茶室は棟札により、嘉永元年(一八四八)九月十代頼匡の造営になり、茶室の名も宗徧(注:そうへん)流家元山田宗徧四世陸安斎により曙月庵と命名されている。
武家造営の茶室としては県内唯一の建造物である。(喬木村教育委員会設置の案内板から)





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