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JR飯山線替佐駅近くの県道脇(地図)にあるお地蔵さん。江戸時代に起きた「戌(いぬ)の満水」の犠牲者を弔ったものと伝えられています。 (写真=2日撮影)
戌の満水について
<参考HP>
・ 上田地域千曲川自然電子図鑑
http://edu.umic.jp/zukan/
・ 国土交通省北陸地方整備局 千曲川河川事務所
http://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/
<参考資料> 中野市指定有形民俗文化財 北ムラのお地蔵さん
総高百二十cmの石造の地蔵尊で、地元の人たちは、地蔵尊があるこの周辺の地区を「荒山」と呼んでおり、豊井小学校の南の旧飯山街道に通じる古道の脇にあるこの地蔵尊を、「ムラの北にある」という意味から、「北ムラのお地蔵さん」と呼んでいます。(※ここでいう「ムラ」とは、旧豊田村の「村」ではなく、地元の人たちが「荒山」と呼んでいる地区を指します。)
明治三十年(一八九七)頃、県道の工事のため、現在地に移されたと伝えられています。
荒山は、千曲川に近い川辺の集落で、水難事故の多い地区でした。
地蔵尊の背面に刻んである銘文から、江戸時代の寛保二年(一七四二)の大洪水で、この荒山の通船の舟着場付近に、洪水による溺死者が漂着し、その犠牲者を弔うため、「袖山氏」という人物の発願によって造立された地蔵尊であることがわかります。
寛保二年の大洪水は、千曲川流域では「戌(いぬ)の満水」と呼ばれ、多数の犠牲者を出すとともに、家屋、田畑が流出するなど多大な被害をもたらしました。その被害の大きさは、各地に伝承や慰霊碑などで伝えられています。
「戌の満水」という歴史的事実を記録し、川辺に住む人たちが水除けの祈りをささげた地蔵尊は大変貴重であり、後世に歴史を伝える証言者となっています。 (中野市教育委員会設置の案内板から)
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