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110813_0658_史蹟 天竜川舟着場(伊那市)

国道153号線(三州街道)と361号線が交わる伊那市入舟(地図)に残る天竜川の舟着場跡。  (写真=13日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
朝の散歩コースにある名所・旧跡のひとつ。
舟着場跡近くにはもうひとつ、じつは名所があるとか。
詳しくは jing さんのホームページをご覧ください。

<参考HP>
・ jing のホームページ
  http://www17.plala.or.jp/jincya/index.html
 
<参考資料> 天竜川通船の由来
漂白の俳人井月は天竜川上流の通船を
春風に 待つ間程なき 白帆哉
と歌い残し、通船の発着所は入船の町名に名残を留めている。
江戸初期、角倉了以による川筋の見立てが行われたが天竜上流では、通船が就航したのは文政の頃で、同六年神子柴の孫市、木の下の弥四郎等が通船を公認されたが、木曽十一ヶ宿、中馬業者等からの故障のために就航は難航した。
明治四年伊那県の調べでは伊那谷に、五十艘の船があった。同五年、平野村の尾沢辰之助等により岡谷ー掛塚間の通船が行われた。
同十五年、天竜丸という通船ができ坂下ー別府間と稀に下川路まで通った。
明治二十六年、南箕輪村の加藤敬亮は坂下と別府・時又に発着所を置いて、月十二回貨物を運搬し、その所要時間は坂下ー時又間を下り五時間、上り三十時間を要した。
明治三十六年加藤敬亮、入船町の中村奥次郎、福島の松崎竜之介が入船ー時又間に定期船を開いて、連日、又は二、三日毎に一回発航して次第に好調に向かったが、三十七年七月の大洪水で就航を中止し、八月より中村回漕店(江戸屋・中村奥次郎)が単独で貨客通船を開始し、同三十九年五月末まで延べ三十八回余の発航をみたが、その後の就航はなく、ついに天竜川上流の水域に白帆の影は絶えた。 (上伊那誌・伊那市史・天竜川交通史等による、坂下区設置の案内板から)





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