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120721_1255_犬房丸の墓(伊那市)

伊那市西春近の常輪寺境内(地図)にある犬房丸(工藤大和守祐時)の墓。
歴史に残る曽我兄弟の仇討ちのため討たれた工藤左衛門尉祐時(くどうすけつね)の嫡男が犬房丸で、仇討後の対応に不備があったことを源頼朝に咎められ、信州伊那へ流罪となりました。伊那では善政に務め、四十八歳でこの地に葬られました。 (写真:常輪寺にある犬房丸のお墓=21日撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 犬房丸公の墓~工藤大和守祐時公~
鎌倉時代、右大将源頼朝公の幕下、建久四年(一一九三年)五月二十八日、富士の裾野において曽我十郎(※祐成)・五郎(※時致)の兄弟の為に討たれた工藤左衛門尉祐経公の嫡男が犬房丸公である。
源頼朝が富士の裾野で巻狩りをおこなった折、父の仇工藤祐経を討つことができた曽我兄弟だったが、兄十郎はその場で討たれ、弟五郎は捕らえられて頼朝の面前に引き出された。その時居合わせた祐経の子犬房丸(その時は九才)は父が殺された悲しみのあまり、五郎のみけんを扇で打ち付けた。
ところが、頼朝は武士として捕らわれの身にある者を討つことを強く咎め、この信州の伊那の地に流罪とした。
しかし、犬房丸は幼少だったので、養育のため少数のお伴の家臣を遣わされ、狐島・殿島・福島・青島・小出島・大島の七島の地を与えられた。当初は狐島に住み政治に努めたが、度重なる三峰川の氾濫のため、持参したお守りの三宝荒神の彫像をこの地に納め、小出の東方へ館を造って移った。
そして十八才の年、家臣たちの勤めにより元服し名実ともに家臣や地域の住民たちの主となった。名前も幼名犬房丸から工藤祐時と改めた。
その後は近郷の田畑を開き、農業の振興に尽くした。又、深く仏門に帰依し、東方に大通寺という古寺を再建して大通寺常輪寺と名づけた。さらに華厳釈迦牟尼仏を安置し、建仁二年(一二〇二年)鎌倉から弁宗禅師を招いて開山すると、これが幕府にも知れ、時の執権北条泰時より流罪を許されて従五位大和守に任ぜられた。それからは工藤大和守祐時と名乗り、民政に励み人々の信頼を集めたが、貞永二年(一二三二年)六月二十六日四十八才で卒去るした。
大通院殿覚翁常輪大居士といん(※環境依存文字)号を受け、遺命によりこの地に葬り塚を築き塔を建てた。 (轉法山 常綸寺設置の案内板から)


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