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佐久市田口にある国史跡の龍岡城跡(地図)は、函館とここの日本には二つしかない、五つの稜が星形に突き出た洋式城郭(五稜郭)です。築城したのは、田野口(後に龍岡)藩主松平乗謨(まつだいらのりかた)。江戸時代末期の文久3年(1863)、田野口藩に転封となった乗謨は、新陣屋建設を申請し、翌年元冶元年(1864)に着工。慶応3年(1867)に南側の堀を残して完成しました。
しかしながら、実戦に使用されることもなく、明治4年(1871)の廃藩にともない、建物の多くは買い取られたり取り壊され、現在は周囲をめぐる石垣と堀の一部(写真上)、北の入口に設けられた枡形、建物では御台所(写真下)が残されているのみとなっています。 (写真=20日撮影)
<参考資料> 龍岡城五稜郭
所在地 佐久市田口3000番地 指定 国指定史跡
信州に一万二千石、三河に四千石の封地(ほうち)を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来百六十年間 三河に本拠を持ち、佐久には陣屋を置いて、領内二十二か村の統治をつづけてきたが、11代乗謨になって、幕末激動の状勢に応じて信州に居館を移すことを計画し、元冶元年(1864)三月着工、慶応三年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。用地一万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、総費用四万円余であった。藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき明治に入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又、賞勲局総裁などを歴任した。築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる御陵郭が成立した。そしてこれより四年前に完成した函館五稜郭址とともに、わが国城址の中においてただ二つの貴重な様式城郭である。廃藩後明治五年、城はとりこわしとなったが、さいわい濠と石累、建物の一部大台所を残している。
注 松平乗謨、田口藩最後の藩主で明治初年大給 恒(おぎゅうゆずる)と改姓名 (以上、案内板から)
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