管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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新潟県糸魚川市から長野県松本市まで、約120キロ続く塩の道・千国街道。
新潟県では松本街道、長野県では糸魚川街道とも呼ばれるこの道は、海国・越後(新潟県)と山国・信州(長野県)の産物が行き交う生活道路でした。
塩の道まつりは、古の人々の苦労を偲び、今も山間に残る古道を歩くもので、例年、5月3日から5日までの3日間、北安曇郡小谷村・白馬村・大町市の順で開催されています。
(写真:第35回塩の道まつり・千国コース=3日午前撮影、640×480拡大可能)
<9キロ・千国コース>
今回、管理人ひろさくが参加したのは、古の街道の姿を色濃く残す千国コース。
小谷村の春の風景を楽しみ、適度なアップダウンを繰り返しながら歩くこのコースに、当日は3500人以上の方々が参加しました。
栂池高原(シャトルバス)→下里瀬基幹センター→虫尾阿弥陀堂→小谷村役場→小土山石仏群→大別当石仏群→源長寺→千国諏訪神社→千国の庄史料館(通行手形)→親坂→弘法の清水→牛方宿→百体観音→栂池高原(完歩証)
<参考HP>
・ 塩の道まつり
http://shionomichi-matsuri.com/
・ パパが歩く塩の道(千国街道)
http://www.konoha-house.com/shionomichi/index.html
第35回塩の道まつり (5月3日) 北安曇郡小谷村・千国コース |
|
栂池高原 | 下里瀬で受付 |
栂池高原に向かって出発 | |
虫尾阿弥陀堂 | |
小谷村役場 | |
三夜坂 | |
小土山石仏群 | |
大別当石仏群 | |
街道に残る蔵と源長寺の石仏 | |
千国諏訪神社 | |
千国の庄史料館 | |
コース最大の難所・親坂 | |
牛方宿 | |
百体観音 | 栂池高原 |
<参考資料> 三夜坂
杉の木立ちの中、つづら折りの坂道を登りつめると二十三夜塔がある。
古来よりこの坂道は三夜坂と呼ばれ、牛方、歩荷(ボッカ)が重い荷物を背に往来していた。
路傍の草むらに置かれた石仏は道中で行き倒れた旅人の霊を慰めるもので、当時の旅の厳しさを物語る。
(案内板から)
<参考資料> 二十三夜
二十三夜待は月待と言って、特定の夜に親しい間がらの者や、講仲間が集って飲食を共にして月の出を待つ行事である。十五夜(八月十五夜は月見でもある)、十七夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜の月待ちがあるが、なかでも盛んなのは二十三夜待で、三夜様ともいう。
二十三夜の本尊は観音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍の勢至菩薩であるという。本尊は智彗光を以ってあまねく一切を照らし、三悪道を離れて無上力を得させるという。そこで陰暦に二十三日の夜、月の出を待って祈願すると、願のことが叶えられるという。二十三夜様は出がおそいので、みんなで赤飯、餅などを作り、お念仏を唱えたり話をして月の出を待った。この地方ではほとんどが、女衆の行事として行われていた。
(案内板から)
<参考資料> 小土山石仏群
小土山は昭和四十六年七月十六日に大地すべりが発生し、現在の位置から山が崩れ、姫川をせき止め大惨事となった。現在は復旧工事が進み不安はない。
ここには庚申塔、鐘馗(しょうき)様などが集められているが、特に珍しいのは線彫りの鍾馗像だ。大小二対あるが、無名の旅人の作といわれている。
(鍾馗)
中国で疫鬼を追い払うという神。目が大きく、髯が多く、黒い冠をつけ長い靴をはき、抜剣して疫鬼をつかんでいる。
(案内板から)
<参考資料>
庚申講
六~七戸を標準に集まって講を立てる。村内にはいろいろな講があるが、その中でも一番大事にされている講が庚申講である。
六十日に一度訪れる「かのえさる」の日が当り日で、年六回当番の家に集まって酒食を共にする。講の仲間意識は強く、時には親戚以上のつき合いをすることもある。
庚申塔
六十年に一度訪れる庚申の年に庚申塔を建立する。庚申の本体は、青面金剛といい、悪病を流行させる悪神であったが、大青面金剛の呪法を修行して、遂に悪病を除き人間を救うようになった。三眼四手(または大手)の像で、手の数が多いのでよく働く神様ともいい、働き者(特に女の人)を庚申様のようだという。
(大別当石仏・案内板から)
<参考資料> 弘法清水・水飲み場
この辺一帯を親坂と称し、ごつごつした石畳・牛を休ませる牛つなぎ石・天候により変化するという錦岩・冷たい湧水の水飲み場等がある。
この水飲み場には二個の石舟があり、一個は高く、他の一個は低く据えられており、低い方は楕円形の自然石に凹みを掘ったもので牛馬用だったと伝えられている。
石舟の上の方には安山岩の弘法大師像が安置されており、安永三年五月吉日の銘文が刻まれている。
ボッカや牛方が、また多くの旅人たちが、この水飲み場で疲れをいやし、旅の安全を祈ったであろう当時の面影を偲ぶことができる。
(弘法清水・小谷村教育委員会設置の案内板から)
<参考資料> 小谷村有形文化財 塩倉
この塩倉は牛方宿とともに、旧街道に現存する唯一の建物である。間口二間一尺、奥行き三間、半地下式の建物で、階上は塩の保管、階下は牛を繋いだとも言われている。建築年代は不明で、階下大戸と袖壁が和釘止となっていることなどから幕末に建てられたと考えられる。
特徴は塩による釘など金属の腐食を防ぐため、板壁を使い、小さな鼻栓で板を固定していることである。梅雨時になると、階下の天井には今でも塩気が噴き出すと言われ、「塩の道」にふさわしい貴重な文化遺産である。
この塩倉は、千国街道の信州川の入口に位置する大網にあったものを、平成十九年、現在地に移築、復元した。建築当初、屋根は茅葺きの寄棟であり、壁は土壁であったことが確認されている。
(牛方宿・小谷村教育委員会設置の案内板から)
<参考資料> 史跡 前山百体観音
この百体観音は、西国三十三番・秩父三十四番・坂東三十三番の百体であったが、長い年月の間に八十余体のみとなってしまった。
しかし、これだけ多くの観音像が一箇所に集められた所は村内では他にない。
前方に建てられている弘法像の台座には安政五年(一八五八)年の銘があるが、百体の観音像そのものの建立年代はさだかではない。いずれも伊那高遠から招かれた石工の手になったものということで、その作風も優れている。
百体観音は、百番霊場・札所になぞらえて百体の観音像を建立供養したものであり、この建立にあたっては、往時の三十余の集落名と百四十人近い願主の名前が見られ、現在の南小谷地区のみならず、中土・北小谷地区、さらには遠く借馬・大町の人まで加わっていることがわかり、往時の人々の信仰心の深さがうかがえる。
(前山百体観音・小谷村教育委員会設置の案内板から)
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