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中山道洗馬宿は、江戸・板橋宿から31番目の宿場町。善光寺街道の分岐にあり、交通の要衝として栄えました。歌川広重の描いた「木曽街道六十九次」では、夕暮れ時と思われる奈良井川の様子が描かれており、作品のなかでも高い評価を得ています。 (写真:中山道洗馬宿本陣跡=20日撮影)
<参考資料> 中山道洗馬宿
洗馬宿は慶長19年(1614)中山道が牛首峠越えから塩尻峠越えに変更となったとき、中山道と北国脇往還(善光寺街道)との分去れの宿場として新設された計画集落である。南北の出入り口は鉤(※かぎ)型に、宿内は湾曲して造られている。用水は尾沢川の水を引き入れ、宿の南で2筋に分け東西の屋敷裏を流している。屋敷の間口は3間を基本として宅地の奥に畑が続く細長い屋敷割が特徴で、現在もこの形はあまり崩れていない。本陣、脇本陣、問屋場のほかに荷物貫目改め所っも置かれ、分去れに位置する洗馬宿の重要性が伺われる。戸数は、始め100軒余、幕末には150軒程あって、大きな旅籠を持つ宿として賑わった。本陣、脇本陣の庭園は「善光寺道名所図会」の中で「中山道に稀な」と紹介された名園であったが、明治42年、鉄道の開通によって洗馬駅の敷地となり失われた。また、昭和7年の洗馬大火では宿時代の建物が殆ど焼け落ち、今はその面影を見ることが出来ない。しかし、火事後拡幅された道路の両脇には昔を偲ぶ歴史の跡がそこかしこに残っている。 (洗馬区設置の案内板から)
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