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安曇野市楡(にれ)の住吉神社で春祭りが開催され、豪華なお舟が披露されました。今年のテーマは、源平合戦でお馴染みの「義経八艘飛び」の場面。お舟の組み立て、人形の配置など、手際良く作業が進められていました。 (写真=24日午後撮影)
<管理人ひとこと>
管理人が訪ねた時には未だ製作中で、人形の武具、首などが取り付けらていませんでした。もう少し遅い時間であれば、完成ひあたお舟が見られたかもしれません。
<参考資料> 壇ノ浦の合戦 義経八艘飛び
屋島の戦いに敗れた平家は、幼帝安徳天皇を奉じて西を指して逃れたが、寄る辺もなくして五百艘の水師は空しく漂泊し対陣の態であった。
時んい寿永四年三月廿四日、源氏の大将義経は兵戦七百余艘を率いて平家軍に猛攻を加え為抗戦空しく終に平家方は大敗戦を迎えるに至る。
平清盛の妻二位の尼は、御年僅かに八歳に在(おわ)せし安徳天皇を抱き参らせ『父帝の在します方へ御供任(つかま)つらん』と申上げ、海中に身を投ぜられましたことは、誠に畏れ多き極みであった。
この戦に、平家の勇将平教盛は斯くなる上は義経を討ち取って死なんと、義経の船に近寄り名乗りを上げて詰め寄ったれば、対します義経は組み付かれては面倒なりと身を躍らせて次々と船から飛び移り行く。その身軽さは流石の教盛も敵わず、身に数箇所の矢傷を受け遂には波間に沈んだ。後世「義経の八艘飛」とはこの早業を指して云う。
奢(おご)る平家に久しからずという諺どおり、滅ぼされたるはむべなるかなである。
(楡祭青年設置の案内板から)
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