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木曽郡木曽町宮ノ越にある神社(地図)。治承4年(1180)、木曽義仲が平家追討のため旗挙げをした地(木曽義仲公館址)とされ、戦勝祈願した八幡郡が祭られています。また、境内には樹齢約800年とも伝えられる大ケヤキが残されています。 (写真=17日撮影)
<参考資料> 旗挙八幡宮由来
幼名を駒王丸と名付けられ養父中原兼遠によって育てられた。
義仲公は、このあたりの平地に城をかまえ八幡宮を祭ったと伝えられている。十三歳にして元服。木曽次郎義仲と改め、治承四年(一一八〇)一千余騎を従え、ここに平家打倒の旗挙をした。時に義仲二七歳であった。以後旗挙八幡宮と呼ばれている。
社殿傍の大欅は樹齢約八百年と伝えられ、公の時代より生きつづけ、落雷により傷ついたその姿は、悲劇の武将を語ってくれるかのようである。 (旧日義村観光協会設置の案内板から)
<参考資料> 木曽義仲公ゆかりの大欅(けやき)
この御神木である大欅は、かつては胸高周囲約十二メートル、樹高約三十メートル、樹齢約八百年とされる古木(支柱のある部分、農学博士である樹医である浜武人氏の平成十四年の調査による)でした。当地、日義村内には古くから『義仲の七本欅」とよばれるケヤキの大木があり、現存するのは当旗挙八幡宮境内のこのケヤキのみです。
旗挙八幡宮の所在するこのあたりは源木曽義仲公が館を構えたところであり、この地において高倉宮(以仁王)の令旨を賜り平氏打倒に挙兵したものであります。今から約八百年前の治承四(一一八〇)年のことです。このケヤキはその樹齢が約八百年といわれていますので、この頃に植えられたものと推定され、また義仲公の元服を祝って植栽されたものともいわれています。
しかし平安時代末期から生育する木曽義仲公ゆかりのこの大欅は落雷・台風の被害により手前の幹は折れ、近縁その樹勢が衰え、残りの幹もその姿をとどめておくことが困難であることがわかり、より永い延命と保存のためにその生命力を枝一本にかけることになり、現在の恩姿にかわることになりました。平成十四年三月のことでした。 (旗挙八幡宮設置の案内板から)
<参考資料> 木曽義仲公ゆかりの二代目大欅(けやき)
このケヤキは、御社殿わきの樹齢約八百年の大欅の子として生育してきたもので、胸高周囲約三メートル二〇センチメートル、樹高約二十五メートル、樹齢約百五十年(樹医・浜武人氏の平成十四年の調査による)とされる御神木です。近年樹勢が衰えてきた初代大欅の後継御神木として後世に木曽義仲公を伝えてゆくこととなりました。
八百年大ケヤキの身と心を受け継ぎ、これから先千年、二千年と永い年月を重ねてゆくうちに、子子孫孫までもこのケヤキの元に集まり神の恵みと祖先の恩とに感謝し、誠をもって日々を送る私たちをお守りくださるものです。 (旗挙八幡宮設置の案内板から)
木曽義仲公館址碑と八幡宮 | 宮ノ越集落(サンセットポイント) |
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