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木曽郡木曽町日義の宮ノ越で14日、恒例の「木曽義仲旗挙げまつり」が開催され(16日市民タイムス記事)、夜には伝統行事「らっぽしょ」がおこなわれました。伝統行事である「らっぽしょ」は、住民が木曽義仲の墓と伝わる徳音寺の墓所に墓参りをする行事。記事によれば、百人以上の人たちが旧中山道の宿場町を練ったそうです。 (写真:徳音寺の木曽義仲の墓所=4月16日撮影)

<マピオン地図>
・ 木曽郡木曽町日義 ( 1 / 75000 )

080426_1329_徳音寺


<参考資料> 日照山徳音寺
仁安三年(1168)義仲公の御母小枝御前の菩提所と平家追討の祈願所として木曽殿が建立した柏原寺が前身であり、寿永三年公の討死の後、大夫坊覚明小人が朝日将軍の名を後世に伝えん為山号を日照とし、法名より寺名を徳音戸寺と改め義仲公の菩提寺といたしました。天正七年(1579)大安和尚中興し臨済宗妙心寺派に属しました。二度の水害に埋没し、正徳四年(1716)現在地に建立され古来木曽八景、徳音の晩鐘として往来の人々にしたしまれてきました。 (以下略)

<参考資料> 徳音寺山門
この鐘楼門は、木曽義仲二十四代の孫木曽現玄蕃尉義陳の発願により、尾張藩の犬山城主成瀬隼人正藤原正幸の母堂が施主となって、享保八年(1723)に巾番匠棟梁藤原朝臣大和流狩戸弥兵衛久正の手によって建立されたものです。
この門は、桁行三間、梁行二間の重層楼門で、軸部の構成、組物は唐様(禅宗様式)であり、全体に調和がとれ安定した楼門です。しかも、装飾的な無駄がなく簡素の美を構成している点が賞せられます。
弘化二年(1845)と、平成八年(1996)に修理はされているが、木曽における江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして、よくその姿をとどめています。 (旧日義村教育委員会が建てた案内板から)

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