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「ブランド薬師」は、長野市浅川の浅川ループ橋右手に見える薬山に建てられたお堂(地図)のこと。かつては、岩場に開けられた穴に丸太を差し込み、その上に板を通して建てられていたそうで、お堂に入るとぶらぶら揺れたことからこの名が付けられたとか。
参道入口からお堂まではゆっくり歩いて約20分。お堂からの景色は絶景…です。
(写真=14日撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> ブランド薬師公園
この公園のシンボルである八櫛神社は大同二年(八〇七年)創建と伝えられ「信濃奇勝録」や「善光寺名所図会」等で案内されているように、古くからこの地域の名所である。
祭神は少彦名命(すくなひこのみこと)で、「日本三代実録」によると、貞観五年(八六三年)信濃国八櫛神に従五位の上を授けるとあり、当社をさすものといわれている。
天明六年(一七八六年)伊勢神宮の神官で国学者の荒木田久老(あらきだひさゆ)が参詣し、本尊は神像の少彦名神であるとされてからは神社とされた(「薬山の歌並序」)。
しかし、当時も本尊(薬師如来)を善光寺光明院に預け、縁日に堂に上げて信者に礼拝させるなど、明治まで神仏混在が続いた。
弘化四年(一八四七年)の善光寺地震の際、薬師堂は本尊とともに、下の浅川に崩落し壊滅したが、文久元年(一八六一年)、北郷村民の尽力により現在の堂が再建された。再建の費用は合計で三十二両二分、人夫二百十四人とされる。
明治八年(一八七五年)、八櫛神社として県へ届書が出された。この時、堂は真言宗雲叡山北郷寺龍王院だったと書かれている。その後、大正四年、昭和六年と改修が行われたが、築後、百年を経て傷みが酷く、昭和三十六年浄財を募り大改修が行われ、現在の姿となった。
ブランド薬師の語源は、垂直の岩に穴を開け、三本の材木を打ち込み、そこに懸崖(けんがい)造りの社殿を建てたため、堂が揺れやすいことからブラン堂の名が生まれたといわれる。
昭和二十九年四月、旧浅川村と長野市との合併を機に、旧北郷地区より薬山約七町歩が市に寄付され、松などが凝灰岩に這う奇景をそのままに、公園として整備されてきた。
昭和六十二年に四阿の建設や裏小道の整備が行われ、昭和六十三年には岩場の十三仏を現在地に移転し、鳥居も度々新築された。現在は市内の小学生の遠足や、市民のウォーキングコースとして名実とも身近な市民の公園として親しまれている。
(長野市設置の案内板から)
ブランド薬師 | |
お堂に架けられた木橋 | お堂からの眺め |
小布施町・高山村方面の眺め | 公園に設けられた四阿 |
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