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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

090322_1124_盛伝寺(長野市)

19日付長野市民新聞のPRページに、市道上松吉田線(SBC通り)周辺の歴史について記した記事が掲載されていました。
移転前の信越放送本社南側部分(地図)には、かつてこの地域を支配していた押鐘氏の城があって、地元では押鐘城と呼んでいました。子供の頃、親戚の家を訪ねた際に遊びに出かけたことがありますが、確か大きな土手(土塁)が南北にあって、東側が堀のようになっていたと記憶しています。当時の城は方形の構えをしていたはずですから、残りの南・西・北部分を考えると、かなり大きな規模の城跡だったのではないでしょうか。新聞記事によれば、16世紀初期、城主の多田盛重は村上義清に属し武田軍と戦ったそうで、後に押鐘の性を名乗るようになったそうです。
記事のなかでもっと驚いたのは題名にも記しましたが、あの豊富(羽柴)秀吉が水攻めを行ったことで知られる備中高松城の城主清水宗治の子がこの地に逃れ、子孫の方々が今もご健在でいるということでした。
時は天正10年(1582)、織田信長の命を受けた秀吉が毛利氏との戦いのため、備中(現在の岡山県)高松城攻めを行っていました。そこへ、明智光秀の謀反の知らせ。光秀討伐のため京に戻ろうとする秀吉でしたが、城攻めの最中、信長の死は戦局を変える一大事と悟り、敵に伝わる前に謀ったのが、城主清水宗治の自刃による毛利氏との和睦でありました。
清水宗治の遺児と家臣はその後落ちのび、たどりついたのが驚くことにここ押鐘村だったわけで、城跡にある墓所には宗治の遺児源太左衛門と子、孫が葬られ、以降は近くの盛伝(せいでん)寺に葬られたそうです。
また記事は、幕末から明治の高僧畔上楳仙は清水家の出身で、母方の畔上性を名乗り、松代の長国寺住職、曹洞宗大本山総持寺の貫主を務められた、と最後を締めくくっていました。

しかし、歴史は奥が深い…。以前勤務していた場所が近くでしたので、もう少しこうしたことを知っていれば、史跡めぐりもできたかもしれませんが…残念。今度、ヤマダ電機を訪ねる機会がありましたら、少し周辺を散策してみようかなって思います。 (写真:盛伝寺=22日撮影)

<さらにひとこと>
20日付北信ローカルに、「明治期教導職最高位になった 名僧畔上楳仙」と題したレポートが掲載されていました。もっともこの日の連載が最終回で、これまでの詳しい内容はわからないのですが、その内容からおそらく楳仙禅師の偉業を紹介するものだったと推察されます。参考までに記しておきます。

<参考HP>
・ 清水宗治web
  http://www.bitchu.jp/





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はじめまして。
以前から、私の姓「押鐘」について祖先は誰だったのか、どこに住んでいたのかなど、疑問・興味がありました。“押鐘・歴史”のキーワードで検索した結果、こちらのブログにたどり着きました。押鐘という姓に何故疑問を持ったのかと言いますと、押鐘村というところが現実に存在しているにもかかわらず、我が家には祖先の歴史についての記録や家紋などが一切無い(見た記憶が無い・親に聞いても知らないと言われる)からです。一般の家庭では、「うちの祖先は○○氏に仕えていたんだよ」とか「祖先は槍の名手だった」とか、少なからず歴史がありますよね。インターネットで検索したら、案の定出て来ました、ということです。しかしながら、多田→小鹿野(漢字は違うかもしれません…)→押鐘という流れにあったということには少々驚きました。押鐘城が存在したというのもとても驚きました。幸い私も長野県内に住んでおりますので、近いうちに「押鐘城跡・盛伝寺」を訪ねてみようと思います。貴重な情報をありがとうございました。そしてこちらのサイトをお気に入りに登録させていただきました。また遊びに来ます。
押鐘竜太 URL 2009.04.04.Sat 10:05 編集
ありがとうございます。
押鐘さま、ずいぶんコメントが遅くなり申し訳ございません。
地図にもありますように、長野市吉田のヤマダ電機のある付近(以前は信越放送があった場所)が押鐘区になるようです。地元には歴史に詳しい方々が大勢おられるので、お寺や公民館の関係者、市民新聞などに問い合わせてみるのも方法かもしれません。
押鐘城については、ほんとうに昔のことなので記憶が定かでないのですが、比較的高く盛られた土塁がありました。ピンボケカメラで白黒の写真を撮ったことを覚えているのですが、残念ながらどこかに入り込んでしまい、未だに見つけられずにいます。
また、時間のある時に近くを訪ねてみようと思います。また遊びに来てくださいね。
ひろさく@長野市 2009.05.31.Sun 22:13 編集
お久しぶりです。
随分間が開いてしましましたが、先ほど盛伝寺に行って来ました。お寺の関係者さんにお話を伺うことができたのですが、お寺を建てたのは多田氏だけど現在は押鐘という姓の檀家さんも居ないし、あまり知らないと言われてしまいました(^O^)ただ、坂城の方に「じょうしんいん」(漢字も分かりません)というお寺があり、そこには確実に押鐘氏の歴史があるということを教えていただきました。お殿様を祀ってあるのだそうです。今日はもう行くことはできませんが、近いうちに必ず行きます。ありがとうございました。何か知っていることがありましたら、また教えてください。宜しくお願いします。
押鐘竜太 2010.02.16.Tue 16:51 編集
こんばんは
もし宜しければ直接メールのやりとりをさせていただきたいのですが…
現在僕は中野市に住んでいますので、直接お逢いしたいとも思っております。押鐘の歴史について知ることができたのは、ひろさくさんのおかげです。本当に感謝しております。押鐘の本家の方によると、僕も押鐘城城主の子孫だということでした。押鐘城の写真など、凄く興味があります。坂城町に行けば見ることができるのでしょうか。何か凄くワクワクします。
押鐘竜太 2010.02.18.Thu 00:57 編集
いつもありがとうございます
盛伝寺を訪ねられ、住職さんから貴重な情報を教えて頂けたとのこと、とても良かったですね。
歴史については疎い管理人ですので、お答えすることも限られてしまうのですが、もともとこの件の情報は、長野市内で発行されている長野市民新聞の広告欄に記載されていた内容ですので、新聞社に問い合わせしてみるのもひとつの方法かと思います。また、地元の歴史を研究されている長野郷土史研究会で、長野市北部の歴史についても専門に研究されている方がいれば、貴重な話が聞かれるかもしれません。
押鐘城の写真は、押鐘地区にお住まいの方が撮影されたもの(白黒)を見たことがあります。「長野の歴史」だったか、「吉田の歴史」だったか…。本の題名は忘れてしまいましたが、確か地区でまとめられた本があったように思います。おそらく、県立図書館か市立図書館に蔵書として収められていると思いますので尋ねられたらどうかと思います。


長野郷土史研究会ホームページ
http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/
管理人ひろさく 2010.02.21.Sun 01:31 編集
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