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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

081103_1420_島崎藤村文学碑(長野市豊野)

長野市豊野蟹沢にある蟹沢船着場跡に建てられている島崎藤村文学碑。
文豪・島崎藤村は、この船着場から2度、千曲川を下り飯山を訪れています。
(写真:文学碑と千曲川=3日撮影)

<マピオン地図>
・ 長野市豊野町蟹沢
※ 車1台停まれるスペースあり

<参考資料> 船着場跡
千曲川の通線は、寛政二年(一七九〇)、飯山領西大滝(現飯山市)から松代領福島(現須坂市)までの十三里(約五十三km)の間で許可され、塩、米、魚等の日常物資の他、人間も輸送した。明治二十一年(一八八八)の豊野停車場開業以後は、蟹沢-飯山間のみ運行され、三十四~三十七年の間には、島崎藤村も二度、ここから便船と呼ばれる川船に乗って飯山へ向かっている。大正十年(一九二一)十月の飯山鉄道(現飯山線)開業以降は衰え、廃止された。

<参考資料> 文学碑説明
文豪島崎藤村は明治三十二年(一八九九年)四月二十八歳のとき、旧師木村熊二の招きで小諸義塾の教師として北佐久郡小諸町(現小諸市)へ赴き、明治三十八年四月まで住んだ。そしてこの間に詩から小説に転じた。まず散文修業のため、”千曲川のスケッチ・原ノート”を作り、ついで八編の”千曲河畔の物語”を書き、その上に立って、日本自然主義の記念碑的作品「破戒」の稿を起こしたのである。
藤村は明治三十四~六年のある秋と明治三十七年一月十三日に、ここ蟹沢船場から川船で千曲川を下って飯山を訪ねた。このときの見聞が「椰子の葉陰」を生み「破戒」の中の描写に反映された。
そしてのちに「千曲川スケッチ」の収められた”千曲川に沿うて””川船”など六編には明治の奥信濃の情景が生き生きと写されている。ここに刻んだ碑文は「千曲川スケッチ」(その十)のなかの”川船”の一節である。
(長野県国語国文学会長 東栄蔵撰、旧豊野町・豊野町教育委員会設置の碑文から)

<参考資料> 島崎藤村「千曲川スケッチ」
川船
 …略… 私達は飯山行の便船が出るのを待って居た。男は真綿帽子を冠り、藁靴(わらぐつ)を穿(は)き、女は紺色染の真綿を亀(かめ)の甲のやうに背中に負(しょ)って家の内でも手拭(てぬぐい)を冠る。それがあざむく斯の辺で眼につく風俗だ。休茶屋を出て川の岸近く立って眺めると上高井の山脈、菅平(すがだいら)の高原、高社山(たかしろやま)、其の他の山々は遠く隠れ、対岸の蘆荻(ろてき)も枯れ潜み、洲(す)の形した河心の砂の盛上ったのも雪に埋もれていた。奥深く、果てもなく白々と続いた方から、暗い千曲川の水が油のように流れて来る。…略…
 そのうちに乗客が集って来た。私達は雪の積った崖に添ふて乗場の方へ降りた。屋根の低い川船で、人々はいづれも膝(ひざ)を突合せて乗った。水に響く艪(ろ)の音、屋根の上を歩きながらの船頭の話声、そんなものがノンキな感じを与える。船の窓から眺めていると、雪とも霙ともつかないのが水の上に落ちる。光線は波に銀色の反射を与えた。斯うして蟹沢を離れて行った。…略… (旧豊野町・豊野町教育委員会設置の碑文から)

<参考HP>
・ 青空文庫
  http://www.aozora.gr.jp/
・ 藤村記念館公式ホームページ (妻籠)
  http://toson.kisoji.org/
・ 藤村記念館 (小諸)
  http://www.city.komoro.nagano.jp/

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