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長野市浅川一ノ瀬の薬山に建つ八櫛神社。
地元では「ブランド薬師」と呼ばれるこの神社の社殿は、崖に穴を開け、打ち込んだ材木の上に社殿を建てる「懸(かけ)造り」と呼ばれる独特な構造で、平成30年3月には長野市の有形文化財に指定されました。
江戸時代後期に記された「善光寺名所図会」にも「薬山ぶらんど薬師」として紹介されており、挿絵には近くにあったとされる「長原乃温泉」や、「山吹の瀬」と呼ばれた当時の浅川の様子などが描かれています。
ループ橋近くの参道を、ゆっくり歩いても30分。
ウォーキングガイド片手にぜひお出かけください。
(写真:ブランド薬師=14日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 長野市文化財データベース
八櫛神社社殿(ブランド薬師)
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page4791.html
・ 浅川地区ウォーキングマップ(長野市役所)
https://www.city.nagano.nagano.jp/site/jyujikyo/411532.html
<参考資料> ブランド薬師公園
この公園のシンボルである八櫛神社は大同二年(八〇七年)創建と伝えられ「信濃奇勝録」や「善光寺名所図会」等で案内されているように、古くからこの地域の名所である。
祭神は少彦名命(すくなひこのみこと)で、「日本三代実録」によると、貞観五年(八六三年)信濃国八櫛神に従五位の上を授けるとあり、当社をさすものといわれている。
天明六年(一七八六年)伊勢神宮の神官で国学者の荒木田久老(あらきだひさゆ)が参詣し、本尊は神像の少彦名神であるとされてからは神社とされた(「薬山の歌並序」)。
しかし、当時も本尊(薬師如来)を善光寺光明院に預け、縁日に堂に上げて信者に礼拝させるなど、明治まで神仏混在が続いた。
弘化四年(一八四七年)の善光寺地震の際、薬師堂は本尊とともに、下の浅川に崩落し壊滅したが、文久元年(一八六一年)、北郷村民の尽力により現在の堂が再建された。再建の費用は合計で三十二両二分、人夫二百十四人とされる。
明治八年(一八七五年)、八櫛神社として県へ届書が出された。この時、堂は真言宗雲叡山北郷寺龍王院だったと書かれている。その後、大正四年、昭和六年と改修が行われたが、築後、百年を経て傷みが酷く、昭和三十六年浄財を募り大改修が行われ、現在の姿となった。
ブランド薬師の語源は、垂直の岩に穴を開け、三本の材木を打ち込み、そこに懸崖(けんがい)造りの社殿を建てたため、堂が揺れやすいことからブラン堂の名が生まれたといわれる。
昭和二十九年四月、旧浅川村と長野市との合併を機に、旧北郷地区より薬山約七町歩が市に寄付され、松などが凝灰岩に這う奇景をそのままに、公園として整備されてきた。
昭和六十二年に四阿の建設や裏小道の整備が行われ、昭和六十三年には岩場の十三仏を現在地に移転し、鳥居も度々新築された。現在は市内の小学生の遠足や、市民のウォーキングコースとして名実とも身近な市民の公園として親しまれている。(長野市設置の案内板から)
ブランド薬師(8月14日) | |
ブランド薬師公園入口 | 八櫛神社社殿 |
社殿内部 | 社殿の構造 |
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