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090829_1218_東昌寺・広田城址(長野市)

長野市稲里町田牧(地図)の曹洞宗佛日山東昌寺に残る城址。現在は、館の周囲に築かれた土塁の跡が残されています。 (写真:本堂北側に残る土塁跡=29日撮影)

<参考資料> 東昌寺縁起
松代藩真田家菩提寺、真田山長国寺直末、広田城址、曹洞宗佛日山東昌寺
開創は宝暦九年(一七五九年)、長国寺十四世密峰静雲
大和尚禅師ご開山、真田家開基による。本尊は聖観世菩薩

090829_1216_東昌寺・広田城址(長野市)
東昌寺山門
東昌寺の地は室町時代、応永七年(一四〇〇年)頃、広田氏が現在の広田・藤牧の地を領し、その館としたのが始まりであろう。その後、藤巻氏は引き継ぎ、相当な勢力を持っていたようである。館の形状や配置は不明だが、東西南北に四〇〇メートル程の広大な敷地であったらしい。
室町時代末期、藤巻弥之助氏が中野市桜沢へ移り(現在も在住)、館跡を戦国時代、天文二十一年(一五五二年)頃、武田方の砦として広田城とする。堀で囲み、現在も残る土塁を巡らしたのはその時であろう。北の上杉勢に対する守りと南の主君(武田家)への忠節であろうが、東西南北の方角が正確に正方形を成している。
徳川時代になり、軍事的に必要が無くなると、砦跡に元文四年(一七三九年)、一宇(観音堂)を建立する(東昌寺の前身)。その後、宝暦九年(一七五九年)、長国寺十四世密峰静雲大和尚禅師を招きご開山とし、真田家の開基により禅宗寺院として東昌寺が創建される。「密峰静雲大禅師は、長国寺歴住の中でも最も傑出した禅僧で、江戸城における乗興独礼がゆるされ、大本山総持寺の輪住をもつとめた高僧である」。
堀には、蓮の花が一面に咲き、まるで極楽浄土をおもわせるほどの美しさであったそうである。
以来、寺としては特異な、堀に囲まれた土塁をめぐらした地形で霊験あらたかな地として今日にいたる。
昭和四十八年(一九七三年)、堀を埋め立て、現在の周囲道路とする。
平成七年(一九九五年)、現存する土塁と、砦、堀跡の供養のため、地蔵菩薩を建立する。
平成八年(一九九六年)、禅宗寺院の顔となる山門(三門・三解脱門)を立て直す。
(東昌寺に建てられている案内板より)





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