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長野市柳原(中俣)のベイシア東長野店東側に残る城跡(地図)。
(写真:城山稲荷明神社=5日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 長野市文化財データベース
http://www.bunkazai-nagano.jp/
・ 柳原地区住民自治協議会
http://e-yanagihara.com/
<参考資料> 中俣城址
中古寿永の頃、朝日将軍木曽義仲が勇志を発し北国の猛威をふるった頃、築城されたと伝えられる。応永三十一年(一四二四年)井上氏が築いた平城で、石垣、天守閣などはない「とりで」で、井上氏が代々住んでいたと古老の口碑が残されている。
本丸は城の中心部をいい、外堀、内堀、三の丸、二の丸の中心にあったところを堀の内といっている。
<参考資料> 城山稲荷明神社
中俣区小字堀組の旧城跡本丸辰巳の方に鎮座されている。
由緒
稲荷大明神は、古く寿永年間に中俣城を築城した井上氏を初めとし、応永年間の城主井上左馬之助光頼の舎弟遠江守浩治、永禄年間には武田氏の幕下保科・井上・栗田各氏より、天正年間は織田信長公の臣森長可の舎弟森右近の太夫忠政、ついで上杉氏の幕下本田安房守等、累代の城主が武運長久の守護神として崇拝し、その霊験もまた顕著であった。
その後、上杉氏は奥州会津へ移城されたことにより中俣城は廃城となったが、大明神の玄鑑は益々里閭に普き信徒の渇仰崇敬も年と共に熾となった。
特に商工農養蚕を初め盗難、火難、乳児の夜泣き慰癒の守護神として崇敬されている。
なお、現社殿は大正十三年(一九二四年)十月に社殿再建発願され万人講を結び、昭和五年に再建された。
また、鳥居は平成六年(一九九四年)三月吉日に区民一同により再建された。
(案内板から)
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