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修正:平成27年9月27日

100207_1540_国道19号線大安寺橋付近(長野市)
国道19号線大安寺橋
(対岸が事故現場)

昭和60年1月28日、長野市七二会の国道19号線大安寺橋(地図)で起きた犀川スキーバス転落事故( Wikipedia )から今年で25年が経ちました。
現場付近を通るたびに、いつかこの事故についての記事を記しておかなくてはいけない、と思いつつそのままになっていたのですが、7日付信濃毎日新聞に、事故で亡くなられた方の友だちや、実際に事故に遭われ救出された方の現在の心境を伝える記事が掲載され、この事故が25年も経った今も心に残る複雑な気持ちがあることを知りました。
管理人が東京の下宿でこの事故の一報を聞いたのは朝6時から放送していた民放の朝番組でした。長野市の犀川でバスが転落したようだ、というものでしたが続報がなかな届かず、この事故の事実のみを繰り返し放送するばかりでした。
映像が届いたのは午前8時30分ころ。事故の一報を聞いて松本空港から飛び立ったという地元民放の信越放送によるヘリからの空撮でした。その映像を見て、場所が大安寺橋付近であることがすぐにわかりました。しかし、事故の遭った場所は、山間の谷に川が流れる場所。とても電波を送出できることはできません。今日であればENG(衛星中継)登載車を現場に向かわせ、生中継もできるのかもしれませんが、当時はまだそうした技術もなく、聞いた話では放送局の技術社員が尾根に登り、バトンタッチで本社まで映像を送るといった状況だったようです。そうした事情もあって、事故が遭ってからもなかなか現場でなにが起きているのかわかりませんでした。
転落したバスは、三重交通のバスに乗っていた日本福祉大学の学生さんたちで、スキー合宿のため志賀高原に向かう途中でした。昭和60年頃はまだ長野自動車道が開通しておらず、松本方面から長野以北に向かうには、この国道19号線が主要道路でした。しかし、当時の道路状況は今とは違い、道幅が狭く、しかも急カーブが連続する難所続きで事故多発区間として地元では知られていました。
バスは、松本方面から長野方面に進み、橋手前の左カーブが凍結のため曲がりきれずに川へ落ちたことが原因とされていますが、事故の詳細を調査するうちに、亡くなった運転手さんの過重労働がわかり、結果的に運行するバス会社が批判を浴びることとなりました。

そして25年。
記事を掲載した新聞には、慰霊祭が行われるたびに参加していた親族の方々が、前回の慰霊祭では出席者がなかった、と伝えていました。亡くなった方々の多くは管理人と同じ年齢。我が家のオヤジやオフクロに例えるなら、おそらくご両親も70、80を越える高齢になっていることでしょう。訪ねたい気持ちがあっても、身体も心も耐えられるか、心配になるのは無理ないことだと思います。
事故のあった旧大安寺橋は撤去され、その後は直線で結ぶ新橋が犀川に架けられました。事故現場には、この事故で亡くなった人たちを慰霊する塔が建てられており、新橋を往来する車を見守っています。ただ、おそらく通り掛かる人たちの多くは、ここで大きな事故が遭ったことなど知らないかもしれません。

直接的に関わりのない管理人ですが、この事故については今も心に残るものとなっています。ただ今回、新聞記事を読んで、もっともっと複雑な思いを抱えて生きている人たちがいることを知りました。何もできない管理人ですが、当時のできごとを風化させないための一助となればと思い、拙い文章ではありますが、ここで改めて当時の状況を思い起こし、現在の様子を加えて記事にしてみました。
(写真:大安寺橋付近=7日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 長野国道事務所(大安寺橋付近のライブカメラ
・ 日本福祉大学
  http://www.n-fukushi.ac.jp/





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ずっとずっと忘れられません
記事を読み改めてそんなに月日が経ったのかと思いました。今でも私は、友人のニックネームをアドレスの頭に持ってきています。あの日、私は彼女を見送り、その日は彼女のベットでゴロンとしていました。量の友達に起こされて、バスが転落したのを知りました。テロップで亡くなった仲間の名前が次から次へと映し出されました。しっかりと、彼女の名前が映りました。いまだに鮮明によみがえり、思い出すと涙が止まりません。。きっとずっと忘れません。
ココ 2011.01.29.Sat 21:35 編集
無題
記事から5年たっていますが、たまたま、目にしたので…・記事に書かれているように当時は携帯電話がなく、別のバスに乗っていた私たちは、後続のバスが来ていないとだけ知らされ、バスの中で待機していました。そのうちに友人たちの名前が呼ばれました。今、私たちの子どもが、この時の友人たちの年齢になっています。今また、あの時のいろんな場面や親御さんの言葉を思い出すと、とても複雑な気持ちになります。
名無しの権兵衛 2015.01.05.Mon 14:41 編集
今年で30年…。
ココさん、名無しの権兵衛さん、コメントをいただきありがとうございました。
この事故は、事故に遭われた方々と同じ世代で、しかも地元に住むことで事故現場の国道をたびたび利用する管理人も、未だに心が痛むできごととなっています。

事故から今年で30年になります。
長野自動車道の開通、大安寺橋の架け替えも含め国道19号線の改良が行われ、世代交代等々もあり、事故の話題は地元でも語られることは少なくなり残念に感じています。
管理人ひろさく 2015.01.11.Sun 08:36 編集
無念
この事故で無くなった方の中に、私の高校時代の同級生が含まれておりました。当時、私は高校卒業後に上京しており、地元や事故現場にてお花やお線香をあげることができず、今なお悔やんでおります。いずれは現場へと思いながら、はや30年も経ってしまいました。今でも、高校時代の様子が鮮明に思い出され、忘れられません。
wombat 2015.08.19.Wed 13:35 編集
あれから30年…。
コメントをいただきありがとうございます。
私も同世代ということもあり、この事故については今もやり場のない虚しさを感じています。
あれからも大きな事故や、東日本大震災など、人命が失われるような災害が起こる度に、どうにかならなかったものなのかなぁ…と思うのですが、今となってはなす術もなく、こうした出来事を受け入れるしかないのかもしれません。
残された人は長生きをして、お土産をたくさんもっていったら喜びますよ、とあるお坊さんも言っていました。私たちにできることは、亡くなった人たちの分まで、笑って、泣いて、苦労して生きていくことが供養になるのかもしれません。
頑張りましょう(^^)
管理人ひろさく 2015.09.24.Thu 21:30 編集
本日の事故で思い出し…
この事故の犠牲者の中に中学、高校の同級生が2名
一名(男子生徒)は、この事故で亡くなり
もう一名(女子)は助かりましたが
事故と友達が亡くなったこと両方のショックで
このあと長く精神を病んだ状態だったようです。

現場の下流と大学に追悼の桜の木が植えられていると知り胸がいっぱいになりました。
もう二度とこのようなことがないように…と思っていたのにまた…
残念でなりません。
runcha 2016.01.15.Fri 17:11 編集
何時になったら事故はなくなるのか…
あれから30年が経過して、過去の教訓を生かし整えられてきた、と思っていたバスの運行管理でしたが、結局何も変わっていなかった、という現実を改めて問いかける今回の事故だったように思います。
何時になったらこうした事故がなくなるのでしょうか。
管理人ひろさく 2016.01.15.Fri 20:00 編集
私も乗務員でした
あの事故から30年経つのですね…。
私は1986年にバス会社に入社し、15年ほど乗務していました。
運転ではなくご案内する立場でしたが、当時の事故の様子は先輩や同僚より聞きました。
もちろん仕事の上で事故の話はしなかったですね。他社とはいえ、同業の事故、話す側も聞く側としても楽しいわけではありません。
乗務員同士で話はしても、お客様に話したことは一度もなく、やがて長野道も開通してR19を通ることもなくなりました。
あの会社の乗務員さんは事故現場を通るのがとても辛かったと思います。
二度と重大事故は起きて欲しくない、と誰もが願ってはいると思うのですが、今回もバスの過失により多くの命が失われてしまいました。
亡くなられた方々の冥福を祈るばかりです。
Caraway 2016.01.15.Fri 22:09 編集
ご勤務、お疲れさまでした。
コメントをいただき、ありがとうございました。
また、大変なお仕事、本当にご苦労さまでした。
業務に従事されていた方々には、例え他の会社が起こしたことであったとしても、辛い立場に立たれていたことと思います。
過去の教訓を生かし、バスは安全なんだ、という気概が感じられないのは、全く嘆かわしいことだと、今回の事故の詳細が伝えられるたびに感じました。
この記事は、同年代の若者が亡くなり、残された家族やお友だちの気持ちを考えると切なくて、もうあのような事故は嫌だという思いもあり記したものです。しかし、いっこうにバスの事故がなくならず、今度は自分たちの子供のような世代の方々が亡くなりました。
何時になったらこうした事故は無くなるのでしょうか…。
管理人ひろさく 2016.01.15.Fri 22:39 編集
はじめまして。
はじめまして、今回の碓氷峠の事故があったのでいろいろと調べているうちにたどり着きました。
私の生まれる前に起こった事故ですね。
こんな大きな事故があったにも関わらず30年経っても同じことを繰り返してしまった今回の事故に関してひじょうに憤りを感じています。
特にスキーバスに関する事故は長距離、短距離に関わらず気を付けていれば防げたものも多い気がします。
業者の学習能力のなさには怒りを通り越して呆れてしまいます。
通りすがりの某 2016.01.16.Sat 09:36 編集
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