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上信越自動車道須坂長野東ICの南東にある信濃源氏(または高井源氏)井上氏の城跡。「ふるさと須坂」(発行:須坂市教育委員会)によれば、城主井上氏は経基王を祖先とする清和源氏の流れをくみ、井上氏の氏祖となる源頼季の子満実がにわかに北信濃に雄飛し、以降、村山、高梨、須田などの氏族を形成したと記しています。鎌倉・室町・戦国時代を井上氏は当地を治めていましたが、慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により上杉景勝が会津へ国替えになると、その家臣として仕えていた井上氏もこれに従い会津に移りました。
城跡は、麓に居館を設け、南方に大城・小城を配置したもの。枕状溶岩跡が近くにある登山口から25分ほどで小城に、さらに10分ほど鞍部を東に歩くと大城にたどり着きます。下りは北側にある浄運寺へ。登山道はよく整備されており、約1時間程度の里山歩きを楽しむことができるようになっています。 (写真:大城=18日撮影)
<参考HP>
・ 信州山歩き地図
http://w1.avis.ne.jp/~nakajima/
※ 「井上山」の項目をご参照ください。
<参考資料> 井上城跡
この史跡 居館大城 は、信濃源氏井上氏が中世を通じ、同族村山、高梨、須田、楡井氏等とともにこの地方を中心に活動し、鎌倉、京都方面にも進出し、多くの武将、名僧を出した根拠地でもある。居館は、100アールばかり、南は大城、小城、東は竹ノ城の山城にかこまれ、四周堀をめぐらした中世の古い形式を遺し、「お堀」とよばれている。大城は大洞山に連なる尾根に構築され前後数条の空堀をもち、二段の曲輪と幾多の遺構が見られ、北麓の浄運寺からは緩やかな道が通じている。一たびこの要害に立てば、本城に属する数多の城砦に臨みかつ川中島平を一望に指呼することができる。なお土栗には井上氏の墳墓がある。
<参考資料>
絹本著色釈迦三尊像(けんほんちゃくちょくしゃかさんぞんぞう)
浄運寺は鎌倉時代初期に開基された浄土宗の寺で、当時この井上を本拠としていた信濃源氏として名高い井上氏の祈願所となっていました。
この掛軸は京都嵯峨野の二尊院にあったもので、井上氏が寄進したものと伝えられています。南北朝時代(一三三五~一三九二)の仏画で、釈迦、文殊、普賢の三人の仏さまが別々の掛軸に描かれています。(須坂市指定有形文化財・須坂市教育委員会設置の案内板から)
井上城址 | |
井上城址への登山道入口 | 歩きやすい尾根伝いの道 |
小城跡下の階段 | 小城跡 |
小城跡についての説明板 | 大城は小城の東200m先 |
大城からの眺望(手前は上信越道須坂長野東IC) | |
大城・小城の配置図 | 井上山浄運寺 |
<参考記事>
・ 井上氏墳墓
http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/1179/
・ 角張屋敷跡
http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/1167/
・ 井上氏居館跡
http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/934/
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