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岐阜県関市にある関善光寺(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像の厨子が開けられる御開帳が行われています。
案内によれば、関善光寺( Wikipedia )は、江戸時代の宝暦4年(1753)、武田家家臣であった広瀬利広から5代目の広瀬新太郎利忠が祖父母供養のため小庵を建て、利忠が亡くなった後、7代目の利香が現在の大仏殿(旧本堂)を建立したことが始まりとされています。
現在の本堂は、寛政14年(1804)、長野善光寺大勧進 等順大和尚が出開帳の際に立ち寄り、多くの参詣者で賑わったことが縁となり、文政10年(1827)、約10年の歳月を経て現在の本堂が建立されました。
(写真:関善光寺=16日午前撮影、640×480拡大可能)
平成27年度 関善光寺御開帳
4月5日 開闢大法要
4月26日 中日大法要・稚児行列
5月31日 結願大法要
<管理人ひとこと>
御開帳期間中は専用駐車場が満車になる場合があります。
御朱印の受付は本堂左手にあります。
<参考HP>
・ 関善光寺
http://www.seki-zenkoji.jp/
・ 関市観光協会
http://www.sekikanko.jp/
・ 全国善光寺会(中部地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
平成27年度 関善光寺 御開帳 | |
御開帳で賑わう境内 | |
行者堂 | 大梵鐘 |
平成27年度 関善光寺 御開帳パンフ |
<参考資料> 宝冠大日如来
仏教文化華やかなりし唐の玄宗時代、(約一千二百年前)に鋳造された仏像中で名作といわれ、我が国では極めて珍しい高さ約五メートル、千十三体の仏像を浮刻した大蓮台の上の慈眼温容の金銅坐像で、平成八年四月に落慶した八角の堂内に御本尊として安置され、結ばれた印形も非常に珍しく金胎両界に通じる霊験あらたな仏像です。(境内八角堂に安置)
<参考資料> 大仏殿(摂取殿)
丈六阿弥陀如来 |
比叡山智堂大和尚を開基として宝暦三年(一七五三)一品親王の命により大垣市青墓竹本院の古跡を安桜山麓の当所に移し、名主新屋広瀬新太郎利忠が祖父母の供養の為に建立せられました。御本尊の丈六阿弥陀如来は木像仏として県下最大、約五百年前の作で、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩と共に岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置され、その御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行儀菩薩御作といわれ、「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。
<参考資料> 行者堂
役行者 別名
高祖神変大菩薩
役小角(エンノオズメ)・役優婆塞を祀る
我国修験道の始祖 西暦六三四~七〇一 舒明~大宝年間の人。大和葛城に生る、幼少より三宝に帰依し、葛城山の岩窟に隠棲、草衣木食して心身の垢離をとり、秘術を修すること三十年、孔雀明王の像を拝し、遂に呪術を以って鬼神を駆使するに至る。富士、金峯箕面の各山等々を登攀跋渉す、今日本各地の霊山の役行者の祀らざるはないとさえ謂れる。
(美濃篁講 関善光寺設置の案内板から)
<参考資料>
岐阜県重要文化財 大梵鐘
太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製、(一五四〇)の浮刻あり、明の十二世、世宗の時代の鋳造で重さ三トン県下最大の大梵鐘で国内で数少ない名鐘の一つ、鳴り響く鐘声は、世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈願しております。
弁慶庵 惟然記念館 |
<参考資料>
関市史跡 弁慶庵 惟然記念館
弁慶庵「惟然(いねん)記念館」は芭門十哲の一人、広瀬惟然( Wikipedia )の旧跡である。惟然は、この地に草庵を結び、日常、膳椀など七つの器だけで簡素な生活をしていたことから、七器山(しちきざん)弁慶庵と名付け、ここを本拠として、芭蕉をはじめ多くの俳人を全国各地にたずね歩き、吟行三昧に明け暮れしていたが、晩年はこの草庵にもどり、
年の雲 故郷に居ても ものの旅
を最後の吟とし、宝永八年(一七一一年)二月九日、六四歳で没したといわれている。
この史跡内には
鳥落人墳(ちょうらくじんづか) 宝永八年卯二月九日并建焉
と陰刻した笠塚があり、
安心惟然居士
の墓碑もある。また、近くの本寺である香積(こうじゃく)寺には、惟然の位牌も安置されている。
庵は、宝永二年(一七〇五年)、父を慕った惟然の娘、智鑑尼(ちがんに)が入庵し、その後、智鑑尼を第一世とし、代々尼寺として引き継がれた。
もともと弁慶庵は入母屋造りの茅葺で、修改築を重ねてきたが、老朽したため解体し、惟然記念館「弁慶庵」として再建した。
(関市教育委員会設置の案内板から・平成5年)
関鍛冶始祖 元重翁之碑 |
<参考資料>
関鍛冶始祖 元重(もとしげ)翁之碑
この碑は、関鍛冶の始祖と伝えられる元重を顕彰し、関の刃物産業の発展を願って、大正四年(1915)に建立されました。
始祖を元重と伝える最古の史料は、宝徳二年(1450)に、美濃国守護代斎藤利永によって編纂された「美濃国鍛冶系図」です。その筆頭に記された元重には、「濃州(のうしゅう)関鍛冶之初也、本国九州之住人也」と注記があり、鎌倉時代末頃の人と考えられています。
以来、「折れず、曲がらず、よく切れる」という、刀にとって不可欠の要素を追求してきた関の刀剣は、後に「関伝(せきでん)」と称されるようになり、戦乱期の室町時代中期から末期にかけて、大いに隆盛をきわめました。刀鍛冶の代表流派は、美濃(関)伝の他に、大和、山城、備前、相州(そうしゅう)の各伝がありますが、その伝統を引き継ぎ、今日にいたるもなお「刀都(とうと)」とよばれているのは関市のみです。
中世に始まった伝統技法を、多くの先人のたゆみない努力で保持し発展させてきた関にとって、元重を「刀祖」として崇敬することが、地場産業のかぎりない躍進と、ハイテクノロジーへの挑戦を願うものの心の表れといえます。そうした心をこめて、毎年11月8日には、この碑の前で元重を称える「ふいご祭り」がとり行われています。
(元重保存会設置の案内板から)
<ドライブメモ>
東海環状自動車道 ハイウェイオアシス 美濃加茂SA |
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おはようございます
善光寺さんは全国にあると聞きますが、岐阜にもあるんですね。建物の造りは違ってますが、正面に掛けられた垂れ幕?ってやっぱり善光寺さんの目印的な意味があるんですかね?
御開帳も終盤に入ってきましたね、ラヂオを聴いていると、善光寺周辺の交通情報が流れてきます。賑わっているようですね。
御開帳期間中にお参りしたいと思っていましたが、年内に一度くらいはお参りできるかどうか・・・^^;
牛に引かれて状態なものですから、なかなかお参りに上がれませんが、次回お参りに上がる際には、ひろさくさんにご挨拶くらいできたらいいなぁ・・・などと思っておりますが、ハテサテどうなりますやら・・・
今日は日曜日という事もあり、きっと賑わっていることでしょうね
御開帳も終盤に入ってきましたね、ラヂオを聴いていると、善光寺周辺の交通情報が流れてきます。賑わっているようですね。
御開帳期間中にお参りしたいと思っていましたが、年内に一度くらいはお参りできるかどうか・・・^^;
牛に引かれて状態なものですから、なかなかお参りに上がれませんが、次回お参りに上がる際には、ひろさくさんにご挨拶くらいできたらいいなぁ・・・などと思っておりますが、ハテサテどうなりますやら・・・
今日は日曜日という事もあり、きっと賑わっていることでしょうね
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