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130803_1544_米騒動発祥の地(富山県魚津市)

第一次世界大戦による好景気は物価の上昇を招き、なかでも米価は買い占めなどにより高騰し、庶民の生活に影響を及ぼす事態となりました。
そうしたなか、大正7年(1914)、富山県下新川郡魚津町(現在の魚津市)で、漁師の主婦らが、北海道への米の輸送を行うため寄港した「伊吹丸」に対して米の積み出しをやめるよう要求。米の搬出は中止されましたが、この行動は富山湾沿岸地帯に広がり、やがて全国的規模に発展しました( wikipedia )。
(写真:米騒動発祥の地となった旧十二銀行米倉=平成25年8月3日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 魚津市観光協会 「魚津たびナビ」
  http://www.uozu-kanko.jp/
・ 魚津市ホームページ
  http://www.city.uozu.toyama.jp/


米騒動発祥の地 (平成25年8月3日)
130803_1544_米騒動発祥の地・騒動当時の状況(富山県魚津市) 130803_1542_米騒動発祥の地(富山県魚津市)
米騒動当時の状況 米騒動発祥の地モニュメント


<参考資料> 魚津の米騒動
大正三年(一九一四)に始まった第一次世界大戦は、日本に好景気をもたらしましたが、その反面、物価は急上昇し、庶民の生活は困窮した。特に、米商人の買い占めや売り惜しみなどにより米価は戦前の四倍になっていた。
このような状況下、大正七年(一九一八)七月二十三日、北海道への米の輸送船『伊吹丸』が魚津町に寄港した。おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が米の積み出しをおこなっていた大町海岸の十二銀行の米倉前に集まり、米の積み出しをやめるよう要求し、このため米の搬出は中止された。
この事件は、地元紙により富山県内に大きく報道され、水橋、滑川、岩瀬、泊、生地など沿岸部で次々と米騒動がおこった。さらにこの騒動は全国に広がり、当時の内閣(※首相:寺内正毅)が総辞職に追いこまれた。その後、日本で最初の本格的な政党内閣(※首相:原敬)の誕生につながった。
(魚津市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 米騒動発祥の地 旧十二銀行 米倉 (地図
大正七(一九一八)年、全国をゆるがせた米騒動は、七月二十三日の魚津町(現・魚津市)で起こった汽船への米の積み出し阻止が発端といわれています。
ここは、旧十二銀行の米倉庫でした。当時は地元の米上人が買い付けた米(俵)は、銀行管理の倉庫に預けられ、そこから汽船に積み込んで出荷していました。現在は海辺の景観も変わってしまいましたが、この米倉が魚津の米騒動の名残りをとどめています。
(魚津市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 旧十二銀行 米倉修繕
建設年代:大正三年(一九一四年)
構造形式:土蔵造り 木造瓦葺
規模:
間口四十メートル、奥行十一メートル(米倉本体は八.二メートル)、高さ六.五メートル、面積四四五平方メートル(米倉本体三一三平方メートル)
特徴:
外観は、土蔵と開放的な下屋(げや・一段下がった屋根)からなる。室内は、七室に仕切られ、その出入り口は、漆喰の鳥居枠に養生石を貼り、壁面には荷物の運搬で傷めないよう板の保護がある。
内部は、半間(約〇.九メートル)間隔に主要な柱が入る強固な構造になっている。また、壁には凝灰岩切石が積み上げられている。さらに通気性を考慮し、板を内外交互に張る大和張りが採用されている。
屋根は棟通りに地棟を入れずに、一間幅(約一.八メートル)の天秤梁(地棟を受ける梁)両端に地棟を二列に通した珍しい構造をしている。また、瓦の下には、厚さ四cmのモルタルがある。
修繕期間:平成二十一年十月~平成二十二年三月
修繕内容:
米騒動発祥の地に現存する歴史的遺産の米倉を後世に残す目的で修繕を実施した。修繕にあたっては、建設時の外観を再現するものとし、可能な限り、現在使用している部材を活用した。波打っている屋根は、米倉の構造上の特徴として、あえて現状のままに修繕をしたので、施工業者は、高い技術と数倍の労力を費やすことになった。しかしながら、建設時の外観を特定できる史料が存在しない外壁は、内部構造を保護するために下見板張りとした。また、七ヶ所ある米倉の出入口周囲は、破損が少ないことから、最小限の修繕にとどめた。
内部の見学:
原則として、内部は公開しておりません。
見学希望の方は、事前に魚津市教育委員会に申請してください。
 (魚津市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 魚津の米騒動はなぜ起こったのか?
大正七年(一九一八)、米価が急に上がり、半年で一.七倍になった。その理由は、年の人口増加によりコメの消費量が増大したことやシベリア出兵をきっかけとした米の買い付け、一部商人による米の買い占めだった。人々の生活は、大変苦しいものになった。そのうような状況の中、北海道に米を運ぶための蒸気船「伊吹丸」が魚津沖に停泊し、米の積込み作業を始めたことから、船への積込みを阻止するために米騒動が起こった。
七月二十三日に起こった魚津の米騒動は、公的機関の記録を基に一番早く起こっていることから、この地を「米騒動発祥の地」と呼ばれるようになった。魚津の米騒動は、暴力的ではなく、話し合いで収まったことが大きな特徴である。
(魚津市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 全国に広がった米騒動
富山県は、江戸時代から、米が高くなった時に藩が米を貸し与えたり、明治時代には、町が白米を給付したりしていた。そのため、町に救済を願い出る行動が、明治時代から行われていた。大正七年(一九一八年)七月二十三日の魚津の米騒動は、すぐに『富山日報』におり県内に大きく報道された。そのため、二〇市町村で米騒動が起き、五三〇〇人が参加した。八月には、富山県内各地に広がった。米騒動が「女房連の一揆」、「女一揆」などの名で全国に報道されると、富山県外でも米騒動が起きた。全国では、青森、秋田、沖縄県を除く、一道三府四〇県、約五〇〇ヶ所で米騒動が発生し、約七〇万~一〇〇万人が参加したと言われている。 (魚津市教育委員会設置の案内板から)





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