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150530_1003_臨済宗(妙心寺派) 法蓋山 東光寺(山梨県甲府市)

山梨県甲府市にある臨済宗妙心寺派の寺院(地図)。
鎌倉時代の弘長2年(1262)に蘭渓道隆が禅宗の寺院( Wikipedia )として再興し、戦国時代には武田信玄の庇護を受け諸堂の整備が行われました。
天正11年(1543)、武田氏の諏訪侵攻により捕われた諏訪頼重( Wikipedia )がこの寺に幽閉され、後に自害。また、永禄8年(1565)には謀反の疑いをかけられた信玄の長男・義信( Wikipedia )もここに幽閉された後に自害し、共に裏手にある墓地に葬られています。
(写真:臨済宗妙心寺派 東光寺=5月30日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 東光寺ホームページ
  http://www.geocities.jp/saraya_ss/tokoji/


臨済宗(妙心寺派)仏蓋山 東光寺
150530_1001_臨済宗(妙心寺派) 法蓋山 東光寺(山梨県甲府市) 150530_0943_臨済宗(妙心寺派) 法蓋山 東光寺・諏訪頼重墓(山梨県甲府市)
鐘楼(手前)と仏殿 諏訪頼重墓
<写真説明>手前が信州諏訪・上原城主諏訪頼重の墓、左奥に武田信玄の長男・義信の墓、石柱に囲まれた墓地は甲府藩主を務めた柳沢吉保の子息二人の墓

<参考資料> 
国指定重要文化財 東光寺仏殿
東光寺は、蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の寺である。
仏殿は、天正十年(一五八二)の織田信長の兵火及び昭和二十年(一九四五)の戦災を免れて今日に伝えられたもので、建立年次は明らかでないが、様式からみて室町時代の建築とされている。
桁行三間、梁間三間、裳階(もこし)つきで、入母屋造、桧皮(ひわだ)葺である。江戸時代初期の修理で、裳階部分が改造され、外観の変更を余儀なくされているが、低い基壇・竿縁の天井・裳階の角柱・窓・引戸などの部分に、大陸の建築が日本化する過程を示し、清白寺仏殿(山梨市)、最恩寺仏殿(富沢町)と並んで中世禅宗様建築を知る上で貴重である。
昭和三十一年解体修理が行なわれた。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和49年)

<参考資料>
山梨県指定文化財(彫刻)
木造薬師如来坐像
木造薬師十二神将立像
仏殿の本尊として安置されている薬師如来坐像は、鎌倉時代に造られたもので、右手を曲げ手のほらを正面に向け、左手は膝のうえで薬壺をのせている一般的な薬師如来像である。檜材の内刳(うちぐり)された寄木造りで座高五一.五糎わが国の保守系仏師の手によって造られたと推定される。
十二神将立像は、薬師如来の守護神として本尊の三方を取り囲んでいる。これも檜材の内刳された寄木造で、玉眼が嵌入(かんにゅう)されており像高八十五糎前後でやや小柄な造りである。像の一つには弘長二年(一二六二)の墨書があり鎌倉時代の像である。しかし、技法や彩色法などの異同が認められ、造られた時期や補修の時期に差異のあることが推定される。姿態た衣服・鎧等の細部にわたって写実的に入念な仕上となっており、美術史的にも重要仏像である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和62年)

<参考資料>
山梨県指定 名勝 東光寺庭園
この庭園は広さ約一,四八五平方メートル 法堂の裏手にのびる山畔を活かして上部に組まれた雄渾な中央滝を主景にして左右に展開する石組みをみせ、枯れ流れの末端に変化に富む護岸石組みの竜池をたたえた。坐視的池泉鑑賞庭園として傑出するものである。
とくに滝石組みの手法は京都の天竜寺・信濃の光前寺庭園など、寛元四年(一二四六)来朝した中国の僧蘭渓道隆に関係のある寺院のそれに共通するところから、東光寺の中興開山道隆(大覚禅師)の手になるものと推定され、従来の回遊式庭園から一変して縦の線を強調した禅庭の基準ともみられ、その後の築庭に至大な影響を及ぼしたと考えられる名園である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和56年)

150530_0946_臨済宗(妙心寺派) 法蓋山 東光寺・庭園(山梨県甲府市)
東光寺庭園
この庭園は、池泉観賞式であり、その構成は山麓の傾斜地を利用した上下二段からなり、ゆるやかな斜面の石組が全庭の八割を占める景観はちから強い。
池泉の地割は鎌倉中期に初めて出現した竜池様式で、岩盤上の護岸方式に特色がある。
池中の舟石は、北宋山水画式庭園においては当然であり、単独に用いられたものとしては日本最古に属するといわれている。
山畔部は、枯滝を中心とする豪快な石組で、現存する四ヶ所の枯滝のうち特に東方(向って右側)から二番目の滝が、それに連なる枯流れとともに本庭の主景をなしている。この竜門滝は竜滝とともに鎌倉中期のころ始めて出現した新様式で、宋朝文化の所産である。
このように本庭は鎌倉時代中期の特色をよく示しており、作者も蘭渓道隆と推定される貴重な禅庭である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和61年)





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