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神子柴遺跡 |
上伊那郡南箕輪村の国道153号線神子柴分岐から西に1キロほど入った場所にある遺跡(地図)。出土した石器群は、昭和63年(1988)に国の重要文化財に指定。
(写真:上伊那郡南箕輪村にある神子柴遺跡=20日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 南箕輪村ホームページ
http://www.vill.minamiminowa.nagano.jp/
<参考資料> 神子柴遺跡
神子柴遺跡は、昭和三十三年から三十四年にかけて上伊那郡誌編纂会が行った学術調査によって明らかになったものである。その調査で大量の特色ある石器類が一括して出土し、学術的に貴重な資料として今日もなお研究の対象となっている。
出土した石器の総数は八十七点で、内訳は尖頭器十八点・局部磨製石斧九点・打製石斧四点・掻器(そうき)十一点・削器(さっき)八点・石核十点・敲石(たたきいし)二点・砥石二点・石刃(せきじん)一点・削片(さくへん)一点・剥片(はくへん)二十一点で構成されており、なかでも薄手で木の葉形をした尖頭器と大型で断面形が蛤形に調整され刃の部分が磨かれた局部磨製石斧は国内で初めて確認されたタイプの石器だったことから「神子柴型」の名称が与えられ学術上の標準資料となっている。
出土した石器のうち所在不明な石刃一点と剥片四点を除く全石器八十二点がこの時期を代表する重要かつ優美で精巧な作りの石器群として昭和六十三年(一九八八)に国の重要文化財に指定された。
神子柴遺跡の時代的位置付けについては「後期旧石器時代末」、または「縄文時代草創期」との見解があるほか、「両方の時代の移行期」とする見方もあり意見が分かれている。
遺跡の性格についても出土した石器群が剥片など一部の遺物を除き、狭い範囲からほぼ完成品ばかりが出土した点、またそれぞれの石器が明らかに配置・集積されたと思われる特徴的な出土状況だったことから「祭祀説」・「墳墓説」・「デポ(埋納施設)説」・「住居説」が提唱されているが結論はでていない。
石器の石材は地元産の砂岩のほか、新潟県以北の珪質頁岩(けいしつけつがん)・玉髄(ぎょくずい)・岐阜県湯ヶ峰産の下呂石・和田峠周辺の黒曜石が用いられている。
なお、出土した石器は伊那市創造館に展示されている。
(南箕輪村教育委員会設置の案内板から)
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