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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

100503_1509__原のシダレザクラ・閑貞桜(信濃町)

上水内郡信濃町平岡(地図)に咲く原のシダレザクラ(閑貞桜・かんていさくら)の様子です。
このシダレザクラは、県の天然記念物にも指定されている古木で、江戸時代、この地に庵をむすんだ旅僧閑貞坊が手植えをしたものと伝えられ、別名「閑貞坊」と呼ばれ親しまれてきました。
しかし、近年は樹勢が衰え、平成18年に日本樹医会長野県支部と地元保存会の協力により治療が施されました。その後、花を咲かせるための力を生育にまわすため、つぼみを摘み、花を咲かせないようにしていましたが、平成21年春はつぼみも少なくなったことから花を咲かせいます。
満身創痍の姿は忍び難いものがありますが、長く厳しい冬を越え、春になれば可憐な花を付け続ける古木の姿は訪れる多くの人々の心を打ちます。 (写真=3日撮影、640×480拡大可能)

山桜 花の主や 石仏  一茶

<参考HP>
・ 信州 信濃町観光協会
  http://www.shinano-machi.com/
・ 寿化工株式会社
  http://www.kotobukikakou.co.jp/
・ 藤牧造園樹木医事務所
  http://www.jumokui.co.jp/
・ 原の閑貞桜
  http://homepage2.nifty.com/kantei-sakura/

<参考資料> 閑貞坊の由来記
今は亡き古老の伝説に閑貞坊は身の丈六尺余にして筋骨たくましく豪力だったという。もとよりのお坊様でわなく由井正雪の孫にあたり丸橋忠弥の一党で倒幕の一味といわれたり、時の幕府のおとがめを受けひそかに身を隠せりと、元禄十四年赤穂浪士が主君の仇を討ち泉岳寺に引き揚げの際酒屋の奉公人の身でありながら四斗樽を振舞したとか、享保の初め幕府の目きびしく江戸をのがれ信州路に入り放浪の旅をつづけ享保の中頃今の長野市内西和田村禅宗雲照寺光尊住職の門を叩き佛門に入り弟子となる。書をよくし近くの子弟を集め手習師匠をなせりと享保十年頃雲照寺を去り浪々の末原村にとまりたり。その折光尊住職の送証文持参す。時享保十四年五月なり享保十八年十月原村百姓懇談し閑貞坊御方に観音様御地を東西六十間南北四十間二千四百坪堂宇建立地その他を含め年貢六斗四升七合三勺にて寄進す。これら二通の古文書現存し共に二本松春治氏所蔵す櫻の木はその頃植えられたものと考えられ今より凡そ二百四十年前のことなり。その頃御料村無量寺に寄寓せらることもあると言われ五六貫匁っもある呼板を首にかけ托鉢をなせりという。夜お堂に妖怪が出没す閑貞坊泊まりこみにて数匹のてん、むじな等を退治し村中を引ずり廻し村人を驚かせりと、或る時信州中野方面に托鉢その折すべり草にこしょうをかけて喰って死せりと、時宝暦八年六月の事二十八年間原村に在住何才にて亡くなったかわ不明なり。閑貞坊の墓石今尚現存す。孤独の一生を偲れるが毎年美しい花を咲かせ多くの人々の目を楽しませ今に子供達に口ずさまれる歌に、原のはずれの閑貞櫻花は咲けども実がならぬ。幾百年も今の姿でこの花を咲かせたいものです。 (原文まま、設置されている案内板から)


100503_1511_原のシダレザクラ・閑貞桜(信濃町) 100503_1510_原のシダレザクラ・閑貞桜(信濃町)
黒姫山を背景に咲く閑貞桜 わずかに咲く花





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