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上田市仁古田から舞田に向かう途中(地図)にある太平洋戦争中の遺構。
太平洋戦争末期、名古屋にあった飛行機製造工場の移転を目的に地下壕を掘ったものの完成することなく終戦を迎え、以降、朽ち果てるまま放置されました。
入口にある看板を頼りに、僅かに残る人の歩いた跡を辿ってみましたが、何本も掘られた濠の跡なのか、到るところにある窪地は確認できたものの、目的の工場跡地を見つけることはできませんでした。 (写真:「地下壕」がある周辺=31日撮影)
<参考資料> 仁古田飛行機製造地下工場跡
太平洋戦争の末期ころ(昭和二十年六月)日本軍部は、上田地区(仁古田、八木沢、東塩田、川辺)に飛行機の製造工場を疎開させる目的で、地下壕の建設を始めました。
この工事には、強制連行された多くの朝鮮の人達のほか、上田・小県地域の勤労報国隊の人達も加わり、八月十五日の終戦まで、約四十日間地下壕の建設に従事しました。
この仁古田地区に残る地下壕とコンプレッサー設置跡は、当時を物語るものです。
上田市・上田市教育委員会では、市民の皆さんに広くこの事実を知っていただくため案内板を設置しました。
この地域は、財産区所有の土地と民有地が入り組んでいますので、見学に当たっては案内板の指示に従ってください。
なお、地下壕のある山は、毎年九月一日から十月三十一日までに間は、松茸山となり、見学することができませんのでご注意ください。 (上田市・上田市教育委員会設置の案内板から)
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