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下伊那郡下條村陽皐(ひさわ・地図)にある室町時代中期、この地を治めた下條氏によって築城された城跡。 (写真=23日撮影)
<参考HP>
・ 下條村ホームページ
http://www.vill-shimojo.jp/
<参考資料> 吉岡城と下條氏
吉岡城は文明七年(一四一五)室町時代中期 下條氏第六代康氏によって築城され、以後七代百十二年間本拠地とした城である。
城郭は下條氏の勢力拡大に伴って拡張し完成された。形状は連郭式平山城で東西約七〇〇メートル、南北約三〇~二〇〇メートルに及び、中世後期の城としては規模も大きくその特徴を有している。城跡は部分的に埋没し崩されているが、当時の輪郭を重文に伝えている。遺構は空堀による四つの郭を城下町・馬場・弓場等からなり、桝形、上町、屋敷町、大手、大手裏、堅町、横町等の地名と井戸、四脚門が残っている。
下條氏は甲斐源氏小笠原氏の庶流である。
初代頼氏
室町時代の初期、小笠原氏の麾下として大沢(古城)に来り、この地方を支配したが、五代にしてその系は絶えた。
六代康氏
松本小笠原氏政康の子。文明二年下條家を継ぐ。居城を大沢(古城)から吉岡に移し、根拠地とした。下條氏中興の祖である。文亀三年(一五〇三)没。
七代家氏
信濃守護小笠原氏の代官として治世を安定させ中央に文化を招来し、重要文化財大山田神社社殿等今日にその遺業を伝えている。天文三年(一五三四)没。
八代時氏
松本小笠原氏と謀り、松尾小笠原氏、新野の関氏を攻略し伊那谷西南部一帯を支配した。元治元年(一五五五)没。
九代信氏
竹田信玄の妹を妻に迎え、信玄の伊那先方衆として武功を立てるが、天正十年(一五八二)二月、織田信長の信濃攻略に際し家老の謀反にあい、長男信正(十代)とともに三河に逃れたが彼の地に没した。
十一代頼安
信氏の二男。天正十年六月二日本能寺の変に乗じ、徳川家康の助勢を得て、吉岡城を奪回したが、天正十二年正月松尾城に於て謀殺された。
十二代牛千代
信正の長男。家康に従属したが、家中の内紛や謀反が家康の詮議を招き、天正十五年(一五八七)三月改易となり、下條氏は事実上滅亡し、一族郎党は諸方の大名家に仕え四散するところとなった。
その後、吉岡城は幕府領の代官所等にあてられていたが、寛永年間旗本知久氏によって取壊された。 (下條村教育委員会設置の案内板から)
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