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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

081207_1114_高梨氏館跡(中野市)

中野市にある高梨氏館跡は、北信地方に勢力を誇った高梨氏の館跡。昭和62年から行われた発掘調査では、庭園(写真)や建物の跡が多数確認されました。現在は公園として整備され、桜の名所としても知られています。平成19年2月には国の史跡に指定されました。 (写真=7日撮影、640×480拡大可能)

<マピオン地図>
・ 中野市小舘
※ 駐車場あり
<参考HP>
・ 中野市ホームページ
  http://www.city.nakano.nagano.jp/

<参考資料> 史跡 高梨氏館跡
所在地 中野市小舘1069-1ほか
高梨氏館跡(たかなししやかたあと)は、東西約一三〇m、南北約一〇〇mの規模で四方に土塁と塀がめぐる、北信地方最大の中世の方形館跡(ほうけんかんあと)です。
本館跡は、平安時代末期に始まる頼季(よりすえ)信濃源氏の有力武士団である高梨氏の築造によるものと推測されます。高梨氏は、鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を拡大し、室町時代後期までには中野地方を完全に支配下においたものと考えられます。
室町時代末期、甲斐武田氏と越後上杉氏の抗争の中、高梨氏はかねてから親交の深かった上杉氏を頼り、越後に一時退去するなどの紆余曲折を経たのち、慶長三(一五九八)年に上杉氏が会津に移封されると、共に会津へ移りました。それに伴い館も廃館となったと考えられます。
昭和六十一年から平成四年にかけて実施された公園整備のための発掘調査では、門跡一棟、礎石建物跡五棟、掘立柱建物跡七棟、庭園跡等が確認されました。中世の方形館跡内で庭園遺構が確認されたのは唯一の事例です。また土塁の断ち割り調査では、土塁が少なくとも三段階の建築家庭を経ていることが確認されました。
北信地方の武士団である高梨氏の中世方形館跡で、庭園跡や三段階以上の土塁の構築過程等が確認されたことは、中部地方の武士団の文化的レベルや方形館の発展過程を考えるうえで重要です。 (中野市・中野市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 高梨館跡公園庭園址について
庭園は都の寺院から貴族へ、さらに十五世紀(室町時代)には地方上級武士に社会にも普及する。この頃から、従来の池泉式庭園(舟遊・廻遊式)に加えて、枯山水式庭園も広まり始める。
この庭園は京都文化の摂取に熱心だった高梨氏が、氏の最盛期にあたる十六世紀(戦国時代)の初め頃に築庭されたものと考えられる。池は館の最も重要な建物である会所(客殿)跡に面している。池の東南部には大きな石を中心とする滝の石組があり、庭の主体部を形成している。池の護岸は大小の山石や川原石で固められている。汀(みぎわ)には岬が少し突き出ており、池の中には岩島が見られる。導水路・排水路の跡が残っているので、当初は池泉形式の庭園であったが、のちに枯山水風に変えられたものと考えられている。
中世の庭園が確認される館跡は例が少なく、県内では初めてのことである。高梨氏の文化的レベルの高さを示すとともに、地方武士の庭園のあり方を示す恒例である。 (中野市・中野市教育委員会設置の案内板から)


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