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emoji 中央構造線 板山露頭 emoji 北川露頭

160816_1512_中央構造線 溝口露頭(伊那市長谷)

中央構造線( Wikipedia )は、関東平野から南アルプス西側を経て、紀伊半島・四国・九州へ、西南日本を縦断する日本で一番長く大きな断層。中央構造線を境に、北側を西南日本内帯(領家変成帯)、南側を西南日本外帯(三波川変成帯)と呼び区別しています。
長野県南部を縦断する中央構造線は、埋って確認できない関東や九州と異なり、西南日本内帯(領家変成帯)と西南日本外帯(三波川変成帯)が接する状況が確認できる場所(露頭)が幾つかあり、伊那市長谷の溝口集落(地図)には、1500万年前にマグマが中央構造線の割れ目に沿って入りできた溝口露頭を見学することができます。
(写真:伊那市長谷溝口にある中央構造線 溝口露頭=8月16日午後撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
写真は南側にある崖を東から西方向に撮影したもので、左側が「西南日本内帯 領家変成帯」(およそ1億年前)、手前のやや黒めの部分が「西南日本外帯 三波川変成帯」(およそ8000万年~7000万年前)、その間にあるやや明るい茶色の部分は、1500万年前に左右の岩石帯との裂け目に入り込んだ新しい岩石帯です。
「中央構造線」は、この新しい岩石帯(明るめの茶色の岩石帯)ではなく、その両側の岩石帯(領家変成帯及び三波川変成帯)との境界部分(写真では2本の線で表示した部分)をいいます( emoji 写真 )。
 
<参考HP>
・ 大鹿村中央構造線博物館
  http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
・ 南アルプス ジオパーク(中央構造線エリア)
  http://minamialps-mtl-geo.jp/


中央構造線 溝口露頭
160816_1501_中央構造線 溝口露頭(伊那市長谷) 160816_1500_中央構造線 溝口露頭(伊那市長谷)
中央構造線公園の案内 公園にあるモニュメント
160816_1507_w_中央構造線 溝口露頭(伊那市長谷)
中央構造線 溝口露頭
160816_1508_w_美和湖(伊那市長谷)
美和湖から分杭峠を望む
160816_長谷地域を通過する中央構造線を北から南へ見た状況(伊那市長谷) 160816_中央構造線 溝口露頭の案内図(伊那市長谷)
中央構造線の位置 溝口露頭案内図
160816_1437_秋葉街道案内図(伊那市長谷) 160816_1528_国道152号線案内図(伊那市長谷)
溝口集落周辺案内図 国道157号線案内図

<参考資料>中央構造線ってなに?
中央構造線は大地がずれ動いた境目で、断層とよばれるものです。地下で地震をおこしながら、左側の大地と右側の大地が少しずつずれてくい違った跡です。ずれた時に岩と岩とがすれあって壊されたので、中央構造線の近くの岩は粉々になったり、割れたりしています。
中央構造線は日本を代表するとても大きな断層です。
この溝口露頭は、1500万年前ごろ、地下で岩が溶けてできた熱いどろどろのもの(マグマ)が中央構造線の割れ目にそって入ってきました。そのため、うす茶色のマグマの岩の両側が中央構造線になります。
(「中央構造線が見える崖 溝口露頭」案内板から)

<参考資料>中央構造線の谷は自然がつくった道!
中央構造線の谷はまっすぐなので古くから人々の行き来する道として利用されてきました。
縄文時代には、諏訪湖の北、和田峠でとれた黒曜石(こくようせき:石器の材料)が静岡などへ運ばれていきました。また後の時代まで、薪・炭・栗などの山の幸や、塩・魚の観物などの海の幸、砂糖といった生活に必要なものが運ばれた道でもあります。南北朝時代には宗良親王(むねながしんのう:後醍醐天皇の皇子)が伊那市の南にある大鹿村に住み、北朝勢力との戦いの道としてこの谷を行き来しました。江戸時代になると、火防(ひよけ)の神をまつる浜松市秋葉神社へのお参りが盛んになり、今でも秋葉街道として名を残しています。
(「人の行きかう中央構造線の谷 中央構造線公園」案内板から)
 
<参考資料>谷の東と西、どちらに人が住んでいる?
谷の西側の山は急ですが、東側の山はなだらかです。これは中央構造線を境に、西側はかたい岩、東側は地すべりを起こしやすい岩でできているためです。また、谷の東側には山から沢が土砂を運んでできたゆるやかな斜面や、かつて三峰(みぶ)川の川原だった平らな部分が広がっているので、谷の東側が人々の暮らしの場になっています。
(「中央構造線の谷 溝口露頭」案内板から)

<参考資料>美和湖のひみつ!
目の前の美和湖は三峰(みぶ)川をせき止めてできたダム湖です。以前は田んぼが広がる大きな川原で、集落もありました。美和ダムの完成は昭和34年です。昭和36年に記録的な豪雨があり、長野県南部で大きな被害もでました。この下流域では美和ダムによって水害は軽減されました。
美和湖は湖底にたまった土砂に悩まされています。三峰川の上流にはけわしい南アルプスがある上、中央構造線にような大きな断層もあり、岩がもろくなっています。このため、梅雨や台風の豪雨があると、崖が崩れたり、川底が削られたりしてたくさんの土砂がつくられ、それを川が運んでくるためです。
(「人の行きかう中央構造線の谷 中央構造線公園」案内板から)





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