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080614_0842_熊倉の渡し(安曇野市)

080614_0847_熊倉の渡し(安曇野市)
渡しに使われたと思われる舟
(春日神社)
安曇野市の熊倉集落(地図)と松本市の下田集落間の奈良井川を結んでいた渡しの跡。近くの春日神社には、明治時代から昭和まで渡しに使われていた(と思われる)舟が保存されています。 (写真=平成20年6月14日撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 熊倉の渡し
この渡し場は松本藩の成相組(二十ヶ村)、長尾組(十六ヶ村)、保高組(十四ヶ村)、松川組(十六ヶ村)、大町組(五十四ヶ村)等を結ぶ天下の公道であり、手形を持った旅人の往来はげしく当時は松本藩の重要な交通の要衝であった。
今から三百余年の昔、貞享三丙寅年(一六八六年)十月十日(太陰歴以下同じ)に端を発した貞享騒動で過酷な年貢に苦しむ農民を救おうとした同志の頭領「多田加助」が、その子弟諸共捕縛され、十一月十六日拂暁投獄の身となり朝もやの立ちこめるこの犀川を渡り対岸の番所と夫婦別れの岩を経て松本領に護送された。この数日後の十一月二十二日、出川と勢高の両刑場に於て磔刑八人、獄門二十人、総勢二十八人が極刑に処せられて事変は終焉した。
加助は十字架の上から城をにらみつつ「二斗五升」と絶叫しつつ最後の息絶えたと語り伝えられている。
この度遺跡公園の建設に当り、史実に残る百姓一揆の一端を記し義民の最後を悼み、末永く義挙を後世に語り伝えようとするものである。 (熊倉遺跡保存会が設置した案内板から)





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