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岡谷市長池(地図)にある縄文時代中期の遺跡。国指定史跡。
(写真:梨久保遺跡=11日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 市立岡谷美術考古館
http://www.okaya-museum.jp/
・ 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/172085
<参考資料> 梨久保遺跡
梨久保遺跡は、長野県の中央部、諏訪湖の西北の山麓に位置し、常現寺沢によって形成された標高八三〇メートル~八六〇メートルの小扇状地の上に立地する縄文時代を主とした集落址であり、縄文時代中期初頭を代表する「梨久保式土器」の標式遺跡として有名である。
これまでの調査で、遺跡は、扇状地の谷口から扇央部一体に、ほぼ等高線に沿う形で、上・中・下の三群の縄文時代中期を中心とする住居址郡が展開し、住居址群の間に甕被り土拡墓を含む小堅穴群が存在していることが確認され、出土遺物は、繊細華麗な籠目文の梨久保式土器のほか、石器、ヒスイ、コハクの玉等多数が発見されており、中部山岳地方における東西文化の交流や縄文中期文化の成立と、その展開をとらえる上に欠くことのできない重要な意味をもつ遺跡である。
(岡谷市教育委員会設置の案内板から・昭和59年)
<参考資料> 梨久保遺跡
梨久保遺跡は、長野県岡谷市長池中村区にあり、諏訪湖への流れ込む常現寺沢によって形成された標高830m~860mほどの南向きの扇状地上に位置する縄文時代中期を代表する遺跡である。また、古墳時代には、山裾の地形を利用した円墳が築かれ、塚屋古墳、火燈古墳、清水田古墳などがあり、かつてこの地域を治めていた豪族の存在を今に伝えている。
<参考資料>
岡谷市指定文化財
梨久保遺跡3・4号住居址出土土器
梨久保遺跡3・4号住居址出土土器は、昭和44年の発掘調査により梨久保B地点と呼称された調査区において、重複した状態で発見された3・4号住居址より出土した土器群で、縄文時代中期後半に、はしご状の文様を特徴とする点で諏訪盆地の独自形式として提唱された。現在は諏訪湖周辺や天竜川上流域、松本平などに広がりを持つ土器形式として知られており、縄文時代中期中葉から後葉への時代の移り変わりと、文化の交流を示す土器形式として特徴的な資料である。
(掲示板から)
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