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150418_0757_1_ドルメン類似遺跡・坪平遺跡(富士見町)

諏訪郡富士見町立沢の坪平遺跡(地図)で発掘された支石墓の遺構。
(写真:ドルメン類似遺跡=18日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 木漏れ日の森から
  http://komorebit.exblog.jp/7101380/

<参考資料> ドルメン類似遺跡
150418_0757_2_ドルメン類似遺跡・坪平遺跡(富士見町)
ドルメン類似遺跡
(後ろは立沢大橋)
ここ坪平遺跡は、大正の末年、郡史編纂調査の一環として民族・考古学者の鳥居龍蔵博士らによって発掘され、「ドルメン類似遺跡」と称せられた。
発掘されたのは石で覆われた墓と目される遺構で、四メートル近い間隔で二基ならんで発見された。片方は偶然、地主の植松夏平氏によって掘り起こされた。南北五.七メートル、東西四.五メートルばかりの長方形に積石がなされ、その北端に長さ十五メートル弱の人形をした石製品(立沢区所蔵)があったという。
もう一方もやはり南北五メートル、東西三.六メートルほどの長方形に積石がみられた。掘り起こして見ると六十センチほどの深さに積まれており、中央やや北に寄ったところには直径一メートル余の大きな蓋石がいくつかの支石の上に被せられていた。支石で囲まれた不規則な室は長さ九十センチ、幅三十センチほどであるが、そこに遺物は見当たらず、蓋石の北側から石器や土器片が発見されたという。
このような支石と蓋石のあり方はヨーロッパ考古学で「ドルメン」と称する支石墓(しせきぼ)に似ており、これらは石器時代の墳墓である。そして、日本にも巨石文化の小規模なものが存在したと、鳥居龍蔵は考えた(『諏訪史』第一巻)。
こんにち、坪平遺跡は縄文時代後期(およそ三八〇〇年前)の遺跡として認識されている。いっぽう、一九八〇年来、八ヶ岳南麓の北巨摩郡下では墓や墓域に大量の石を用いた同時代の遺跡がいくつか発掘されてきた。それらに照らしてみると、坪平の遺構を支石墓と断定することには疑問もあるが、諏訪における考古学史上記念すべき遺跡であることに変わりはない。その時の発見箇所一〇〇平方メートルほどが、区有地として保護されている。
なお平成十年、この東に隣接する土地五〇〇平方メートル余りを発掘調査した。しかし、墓跡と思しき穴三基を検出したにとどまり、同類の遺構は見当たらなかった。
(富士見町教育委員会設置の案内板から・平成17年)





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