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10_諏訪湖周まちじゅう芸術祭(表) 10_諏訪湖周まちじゅう芸術祭(裏)
「諏訪湖周まちじゅう芸術展2010」パンフ

諏訪市と諏訪郡下諏訪町では、9月30日まで、諏訪湖周を舞台にさまざまなアートに触れるイベント「諏訪湖周まちじゅう芸術祭2010」(主催:地域資源∞全国展開プロジェクト「諏訪湖周まちじゅう芸術祭委員会」)が行われています。
8月は諏訪の地酒や食を楽しみながら湖上の花火を楽しむ「ナイトクルージング」を、9月は諏訪湖周辺にある16の美術館や博物館で行なわれるアートプログラムを体験したり、湖周のアートをめぐる「まちじゅう展覧会」や、若手現代アーティストによる映像作品を鑑賞する「映像展」などが予定されています。
芸術祭についての詳しい情報は、公式ホームページをご覧になるか、実行委員会事務局(諏訪市小和田南14-7 諏訪商工会議所内)までお問い合わせください。

<参考HP>
・ 諏訪湖まちじゅう芸術祭2010
  http://suwako-art.jp/
・ 諏訪商工会議所
  http://www.suwacci.or.jp/


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100817_1212_法華寺(諏訪市)

諏訪市中洲にある禅宗の寺院(地図)。
天正10年(1582)4月、武田勝頼を滅ぼした織田信長が本営として滞在した場所で、ここで甲州攻めの論功行賞が行われました。その際、多くの武将が居並ぶ前で明智光秀を叱責したと伝えられており、このことが後の本能寺の変に繋がったとされています。
また法華寺には、赤穂浪士の討ち入りで知られる吉良上野介義央の養嗣子である義周(義央の長男で米沢藩主上杉綱紀の次男、義央の孫)の墓があります。義周は、元禄15年(1702)12月に起きた討ち入りの対応について幕府から咎めを受け、改易。諏訪高島藩に流され、その3年後に病のため亡くなりました。
(写真:法華寺=17日撮影)

<管理人ひとこと>
松本タウン情報に、織田信長と明智光秀の法華寺における事件について、松本市内にある高校の先生が記事を寄せていたことを思い出しました。幸いにもご本人がブログで詳しく紹介されていましたので参考にご覧ください。

<参考HP>
・ 諏訪市観光ガイド
  http://www.suwakanko.jp/
・ ホムタすわ 地域発、諏訪市の総合情報サイト
  http://homtasuwa.net/
・ 熱く、散って、逝った武将・もののふ達へ
  http://ameblo.jp/yamazakibakufu/
 
<参考資料> 鷲峰山法華寺
もと天台宗であったが、鎌倉時代寛元年間領主蓮仏入道盛重が中興し、建長寺蘭渓道隆を招いて禅宗に改めた。天正十年織田信長が甲州征伐の時、この寺を本営として対陣して論功行賞を行ない、多くの武将たちが集まった。信長が明智光秀を愚弄して恨まれ、本能寺の変の原因の一つをつくったのは、ここの寺である。

<参考資料> 吉良義周墓
吉良左兵衛義周(一六八六~一七〇六)は米沢藩主上杉綱憲の次男であったが、祖父にあたる吉良義央(上総介)の養子となり、元禄一四年(一七〇一)吉良家を継いだ。
元禄一五年一二月一四日、赤穂浪士による江戸本所の吉良邸討入りに遭遇し、自身も手傷を負う。翌年、評定所に呼び出され、大目付より「仕方不届」として領地召上を申し渡され、諏訪安芸藝守忠虎(四代高島藩主)へお預けの身となった。高島城南之丸へ囲われた義周への処遇は、丁重かつ儀礼を尽くしたものであったことが伝えられている。
しかし、配流から三年後の宝永三年(一七〇六)一月二〇日、二一歳の若さで病死してしまう。幕府による検死の後、同年二月四日、法華寺裏手に埋葬された。
墓石には「室燈院殿岱嶽徹宗大居士神儀寶永三丙戌天正月廿日」と刻まれている。
(諏訪市教育委員会設置の案内板から)





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100817_1208_諏訪大社上社の雷電像(諏訪市)

諏訪市中洲の諏訪大社上社本宮(地図)に奉納されている江戸時代の名力士・雷電為右衛門(らいでんためえもん)の像。雷電は現在の東御市出身の力士。
(写真=17日撮影)

<参考HP>
・ 信濃國一之宮 諏訪大社
  http://suwataisha.or.jp/

<参考資料> 雷電為右衛門の像
幕末に信州東部町が生んだ名力士で氏子出身の彫刻家故矢崎虎夫氏の文部大臣賞受賞作品。モデルは横綱柏戸と佐田山及富士錦。勝負に強い御神徳の當大社に奉納されました。
(案内板から)


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100817_1143_八剱神社(諏訪市)

諏訪市小和田にある八剱(やつるぎ)神社(地図)は、諏訪の七不思議のひとつである「御神渡」(みわたり)を拝観し、その現象を神前に告げる神事「注進奉告祭」を行う神社として知られています。
神社には、天和3年(1683)以降の御渡り拝観の記録「御渡り帳」が伝えられており、諏訪湖で起きる神秘な現象は今も書き綴られています。
(写真:八劔神社本殿=17日撮影)

<参考HP>
・ 諏訪市観光ガイド
  http://www.suwakanko.jp/
・ ホムタすわ 地域発、諏訪市の総合情報サイト
  http://homtasuwa.net/

<参考資料> 八剱神社御由緒
八剱神社は八千矛神(やちほこのかみ)を主祭神に日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別尊(ほむたわけのみこと)を合せて祀る小和田の氏神である。古来は船湛神主によって奉祀され、諏訪神社に準じた神事を行うとともに、諏訪湖の御渡り拝観という特殊神事を守り伝えてきた。
天正十八年(一五九〇)高島築城に際し城地にあった八剱神社と高島村は現在地に遷された。初代高島藩主諏訪頼水は当社を城の鎮護神社として以来歴代の藩主は産土神として篤い崇敬の念を寄せ、社領、絵馬、神宝等を寄進している。江戸時代の末までは諏訪神社の矢島権祝が神官として仕えた。
大祭は夏の虫除け祭り(現行七月第一日曜日)秋の例大祭ーみかん祭り(現行十二月第一日曜日)の他、七年目毎の寅申の年に御柱大祭が斎行される。御柱大祭には、御柱の曳建てともに五本殿の立替えと遷座式が行われ、氏子地区毎に御遷宮の飾り物を作って奉祝しその宏大豪華さを競った。
諏訪の七不思議の第一にあげられる「諏訪湖の御渡り」は諏訪明神が氷の上を渡られた跡といわれ、御渡りができれば氷上を人馬が渡っても危険でないとされてきた。当社には天和三年(一六八三)以降の御渡り拝観の記録「御渡り帳」が伝わり今日まで書き継がれている。
拝殿は嘉永元年(一八四八)に上棟したもので、彫刻は立川専四郎富種の手によるものである。
(八剱神社社務所が建てた案内板から)





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100817_1130_貞松院(諏訪市)

松平忠輝( Wikipedia )は徳川家康の六男として生まれ、信州川中島藩主、越後高田藩などの藩主を務めましたが、元和2年(1616)、兄で二代将軍徳川秀忠から改易を命じられ、飛騨高山藩を経て、信州諏訪藩に流されました。
諏訪市岡村の浄土宗貞松院(地図)には、諏訪藩に幽閉され、天和3年(1683)に亡くなった忠輝の墓が残されています。
(写真:浄土宗 迎冬山 貞松院 月仙寺=17日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 浄土宗 貞松院ホームページ
  http://teishoin.jp/
・ 諏訪市観光ガイド
  http://www.suwakanko.jp/
・ ホムタすわ 地域発、諏訪市の総合情報サイト
  http://homtasuwa.net/

<参考資料> 松平忠輝公の略歴
100817_1133_貞松院にある松平忠輝の墓(諏訪市)
 松平忠輝の墓
文禄元年(一五九二)、江戸城において出生。家康公六男、母は茶阿の方、幼名辰千代。十一歳で上総介を任ぜられ、十四歳で参内し、従四位叙任、右近衛少将に補せらる。また同年将軍の名代として大坂城に秀頼を訪い、豊臣、徳川両家の緊張緩和に功績を挙げる。十五歳、正宗公の娘五郎八(いろは)姫と結婚。十九歳にして越後六十万石の大大名となる。その性俊英にして果敢、気宇または壮大、開国思想を持った逸材。たまたま鎖国政策に向う幕府に入れられず、また正宗公や大久保長安との関係も幕府の注目するところとなり、大坂夏の陣後、怠戦等些細な理由で二十五歳元和二年改易された。伊勢に三年、飛騨に七年、三十五歳寛永三年に当地に配流。当藩主頼水公は南の丸を整備して迎え好遇した。この地に住むこと五十八年、天和三年(一六八三)七月三日、九十三歳を一期に没せられ、当院に葬られた。生前当地の文化向上に多大な影響を与え、今日も郷土の恩人として敬われている。
(案内板から)





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