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030330_0752_善光寺御開帳・回向柱行列(松代)
真田勝鬨太鼓の演奏 (文武学校前)
 
御開帳大回向柱受入式 ( 2003. 3. 30 )
御開帳の開催に先立って行われる「御開帳大回向柱受入式」は、御開帳のシンボルともいえる「回向柱」(えこうばしら)を、寄進元の長野市松代町から受け入れる儀式のこと。江戸時代、火災により焼失した本堂を松代藩が普請を受け持ったことが縁で、以降、松代町(回向柱寄進建立会)から奉納されることが慣習となりました。長さ10メートル、45センチ角の柱となった「回向柱」は、御開帳2日前、住職らにより「ア」「バ」「ラ」「カ」「キャ」の梵字五文字が筆で書き加えられ、その後おこなわれる「回向柱建立式」「回向柱除幕式」を経て、御開帳当日を迎えます。
「御開帳大回向柱受入式」の当日は、午前7時50分に、松代藩文武学校前(松代町)から善光寺木遣り保存会の皆さんによる木遣り歌の先導で約2時間かけて町内を巡り、さらに午後1時からは長野市末広町に場所を移し、松代藩の藩主を務めた真田家から第14代目のご当主さまも加わって、大名行列・姫行列・牛に引かれた「回向柱」・宝船の順で、約2キロある善光寺までの表参道を練り歩きました。

030330_0753_1_善光寺木遣り_善光寺御開帳・回向柱行列(松代) 030330_0814_2_善光寺御開帳・回向柱行列(松代)
善光寺木遣り保存会による木遣り歌 トラックに載せられた「回向柱」
030330_1226_2_善光寺御開帳・回向柱行列(中央通り)
真田十万石子供太鼓
(南石堂町)
善光寺回向柱
(新田町)
030330_1236_善光寺御開帳・回向柱行列(中央通り) 030330_1227_善光寺御開帳・回向柱行列(中央通り)
牛に引かれて… (末広町) 真田十万石行列 (南石堂町)
030330_1308_善光寺御開帳・回向柱行列
中央通りを進む真田十万石行列と回向柱 (新田町)
 

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030405_1633_4_善光寺御開帳・御遷座式(本堂)
 覆っていた白い布が取り払われ、姿を見せた「回向柱」

「御遷座式」「回向柱開眼法要」 ( 2003. 4. 5 )
2月下旬の寒さと雪のなか、御開帳前日の儀式「御遷座式」(ごせんざしき)と「回向柱開眼法要」が本堂前で行われました。「御遷座式」は、前立本尊が白装束の男性らが担ぐ輿に乗せられ、大勧進から本堂に、さらに本堂内陣から内々陣へお移りになられる儀式のこと。その後、安置された「前立本尊」と本堂前の「回向柱」とは「善の綱」で結ばれ、「回向柱開眼法要」によって「回向柱」に「前立本尊」の心が宿ることになります。
当初の予定ではこの「御遷座式」、午後3時から執り行われるとのことでしたので準備を進めていたのですが、移動中に聴いた「FMぜんこうじ」のレポートでは、予定を早めて午後2時半から始められたようで、「前立本尊」を乗せた輿の様子を取材・撮影することはできませんでした。
続いて行われた「回向柱開眼法要」は、大勧進の小松玄澄貫主と大本願の鷹司誓玉上人のご列席で、午後四時半から本堂前で執り行われました。両住職が除幕の綱を引っ張ると、覆っていた布に取り付けられていた綱が外れ、係りの方が「回向柱」を覆った白布を引っ張るというアクシデントもありましたが、無事に除幕が行われ、「ア」「バ」「ラ」「カ」「キャ」の梵字とともに「奉開龕前立本尊」と力強く描かれた「回向柱」が姿をあらわしました。「開眼法要」が終了すると、ようやく一般参拝者が「回向柱」へ触れることを許されます。

030405_1642_善光寺御開帳・御遷座式(本堂) 030405_1651_3_善光寺御開帳・御遷座式(本堂)
本堂内の「前立本尊」と「回向柱」を結ぶ「善の綱」(左)
「前立本尊」の心が宿る「回向柱」に触れる参拝者(右)
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030426_1039_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
中日庭儀大法要 (天台宗)

天台宗 中日庭儀大法要 ( 2003. 4. 26 )
初夏を思わせるような暑さとなった26日、御開帳期間中に行われる儀式のなかでも、重要な儀式とされる「中日庭儀大法要」(ちゅうにちていぎだいほうよう)が行われました。この法要は、御開帳期間中の中日(4月下旬から5月上旬)に催され、天台宗と浄土宗がそれぞれ一回、日程を変えて行われるもの。回ごとに順番を入れ替えることになっており、今年は26日の法要が「大勧進」(天台宗)、5月10日の法要は「大本願」(浄土宗)が担当することになっています。
この日の法要では、午前10時に、「笙」(しゃう)「篳篥」(ひちりき)を奏でる人々を先頭に、お母さんに手を取られた可愛いお稚児さん、一山住職の方々の順に行列が大勧進を出発し、最後に御貫主(かんす)さまを乗せた御駕篭が、ゆっくりと三門をくぐり、石畳の参道を進まれました。
左右の参道脇には、全国各地から訪れた参拝者らが埋め尽くし、御貫主様と住職の方々によって厳かに営まれる法要を見守ります。解説によれば、この「中日庭儀大法要」が行われる善光寺境内の場面設定は、人々が願う極楽浄土を表したものとのこと。つまり、善の綱で「前立本尊」と繋がれた「回向柱」に触れることと同等に、いやそれ以上に仏様にお近づきになれるということなのかもしれません。それ故に、この法要は、御開帳期間中の法要のなかでも、最も重要な儀式でもあるのです。

030426_1705_2_善光寺御開帳・散華
散華
庭儀法要が終了すると、貫主さまと一山住職の方々は、引き続き本堂での法要となります。そして、本堂での法要が終わると、天台宗だけのもののようですが、時計回りに住職の方々が回廊を廻り、五色の「散華」(花)を撒きます。この「散華」、花の香りで邪気を払い、法要周辺を清め、仏様をお招きするという場面で使われるもので、善光寺では「蓮華」を模った紙製の花びら(写真)が撒かれることになっています。一般の参拝者がこの「散華」を持っていると、さまざまなご利益を受けることができると伝えられており、住職の方々が本堂からお出になるころ(午前10時50分)ともなると、ぜひ一枚とばかり、一斉に本堂回廊下に集まり始めます。紙でできているので、あまり回廊に近いと風に乗って頭上を跳び越してしまいますので、適当な距離を保っておくと、「散華」を手に入れることができるようです。
5月に行われる大本願(浄土宗)による「中日庭儀大法要」では、今回のように回廊から「散華」を撒くことはなく、住職らが儀式の途中で撒く「散華」を頂くか、またはお稚児さんが舞う「礼讃舞」(らいさんまい)の中で撒かれるものをゲットすることとなります。

さて、当日のレポはここまでですが、手許の資料を見ますと、その後、行列は仲見世の途中で左折して、お釈迦様の涅槃像がある「世尊院釈迦堂」に向かい、再び法要を行って大勧進に戻る予定となっています。来月行われる「中日庭儀大法要」(浄土宗)では、このルートを辿りませんので、天台宗だけの独特なルートなのかもしれません。
この「世尊院釈迦堂」。御開帳期間中の隠れスポットとでも申しましょうか、じつはここにも「回向柱」が立てられていること、ご存知でしたでしょうか?こちらは、横たわるお釈迦様の右手と糸で結ばれた「回向柱」で、3月下旬の「受入式」の際に、本堂前の「回向柱」と共に、長野市松代町から運ばれてきました。本堂前の「回向柱」は、「前立本尊」さまと、そしてこちらの「回向柱」では、お釈迦様と結縁を結ぶことができることになっています。仲見世からだと、少しわかりづらいかもしれませんが、もし時間がありましたら、ぜひこちらにもお立ち寄り頂ければと思います。

030426_1005_2_善光寺御開帳・大勧進から出発する行列 030426_1006_1_善光寺御開帳・大勧進から出発する行列
行列は大勧進を出発し、三門を抜けて、回向柱のある本堂前へ
030426_1025_1_善光寺御開帳・中日庭儀大法要 030426_1043_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
貫主様を乗せた御駕篭が登場 外の賑わいに池のカメもびっくり!
030426_1134_善光寺御開帳・釈尊堂と回向柱 030426_1135_1_善光寺御開帳・釈尊堂と回向柱
少し小ぶりの「回向柱」が立つ「釈迦堂」でも「回向柱」は人気の的

あなたも新聞に名前を載せてみませんか?
030426_1131_善光寺御開帳・携帯電話で広告をのせよう企画
個人広告受付中!(信毎)
という、ちょっとびっくりするような文句で人気のコーナーが、善光寺境内六地蔵前特設ブース(御開帳プラザ)に登場! これは、善光寺御開帳奉賛会と信濃毎日新聞の企画(協力・NTTドコモ長野支店)で行われているもので、御開帳参拝の記念に、地元紙の信濃毎日新聞に写真( FOMA )と名前を掲載しましょ、っというもの。(写真右)
受付は午前10時から午後3時までで、名前だけの掲載(六文字)だと1,000円、写真入りだと一枠2,000円(税込み)。原則的には翌日に掲載されるようですが、紙面の都合では翌々日以降になることもあるとか。掲載紙は送付されるそうですが、待てない!という方は、翌日、県内のコンビニでご確認の上、お買い求め頂くこともできます。(信濃毎日新聞は長野県内のどこでも購入できる地元紙です)


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030510_1105_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
中日庭儀大法要 (浄土宗)

浄土宗 中日庭儀大法要 ( 2003. 5. 10 )
午前7時の気温が5.2度と、この時期としては少し肌寒く感じた10日、善光寺御開帳の一連の儀式のなかでは二度目のハイライトとなる「中日庭儀大法要」(ちゅうにちていぎだいほうよう)が行われました。この法要は、御開帳期間中の中日(4月下旬から5月上旬)に催されるもので、天台宗と浄土宗がそれぞれ一回、日程を変えて行われるもの。回ごとに順番を入れ替えることになっており、26日の法要は先ず「大勧進」(天台宗)が、そして今回の法要は「大本願」(浄土宗)が執り行うこととなりました。
この日の法要では、午前10時に、4月に行われた天台宗による法要同様に、「笙」(しゃう)「篳篥」(ひちりき)を奏でる人々を先頭に、お母さんに手を取られた可愛いお稚児さん、一山住職の方々の順に行列が大本願を出発し、最後に御上人さまを乗せた御駕篭が、ゆっくりと三門をくぐり、石畳の参道を進まれました。左右の参道脇には、全国各地から訪れた参拝者らが埋め尽くし、御上人様と一山住職らによって厳かに営まれる法要を見守ります。解説によれば、この「中日庭儀大法要」が行われる善光寺境内の場面設定は、人々が願う極楽浄土を表したものとのこと。つまり、善の綱で「前立本尊」と繋がれた「回向柱」に触れることと同等に、いやそれ以上に仏様にお近づきになれるということなのかもしれません。したがって、この法要は、御開帳期間中に数ある法要のなかでも、重要な法要でもあるのです。

030510_1051_2_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
浄土宗の衣装
さて、ここで少し余談になりますが、儀式に参列されていた貫主様と上人様、またそれぞれの宗派のご住職の方々の服装は、デザイン的にも全く違ったものだったことにお気づきになられたでしょうか。
天台宗による「中日庭儀大法要」の際には、あまり気にも留めていなかたため、比較するための写真がないのですが、今回の「浄土宗」による「中日庭儀大法要」では、その煌びやかなお姿に感動しまして、失礼とは思いつつも、参列されていたご住職のお姿を一枚撮影(写真右)させて頂きました。
なかでも、特徴のあるお舟のような形をした「帽子」は、「水冠」と呼ばれるもので、正面から見るとその折り目が「水」という文字に見えることから名付けられたそうです。衣装も、私たちからしますと、お坊様は袈裟(けさ)しか着ないというイメージが強いのですが、今回の服装は、まるで宮中にでてくる公家の姿に似ていて、それはそれは豪華絢爛だったように思いました。
庭儀法要は、回向柱前で行われる法要に続き、地元の小学生たちが練習を続けてきた「礼讃舞」(らいさんまい)が披露されました。3月頃から練習を重ねてきたということですが、さすがに大観衆を前にして些か緊張気味ではありましたが、立派にお役目を果たしていました。
「礼讃舞」が終了すると、上人さまと一山住職の方々は本堂に上がられ、再び法要が執り行われるわけですが、その前に、浄土宗では行われないとされていた回廊からの「散華」(花)が行われ、この日だけでも38万人という参拝者が一斉にご利益のある「散華」を手に入れようと回廊下に詰め掛けました。「散華」は、花の香りで邪気を払い、法要周辺を清め、仏様をお招きするという場面で使われるもので、善光寺では「蓮華」を模った紙製の花びらが撒かれることになっています。紙でできた「散華」は、風に乗って舞うことも多々あるため、適当な距離を保っておくと手に入れることができるわけですが、とにかく一枚ゲット!したいとのことで、回廊下を幾重にも取り囲むように人の波ができました。その光景たるや、もし本堂を極楽と例えるなら、回廊下は、まさに現世の<欲>に満ち溢れた世界…という状況を目の当たりにする一瞬だったように思いました(笑)。

030510_1034_2_善光寺御開帳・中日庭儀大法要 030510_1036_2_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
  行列は大本願を出発し、三門を抜けて、回向柱のある本堂前へ
030510_1050_善光寺御開帳・中日庭儀大法要 030510_1136_善光寺御開帳・中日庭儀大法要
「回向柱」前で行われる法要  華やかに行われた「散華」

「中日庭儀大法要」の感想
さて、当日のレポはここまでですが、幾つか気付いたことを記してみます。まず、当日は事故があったこと。それは、行列の写真を撮るために男性が、載っていた台か鉄柱の上から滑り落ち、その下にいた参拝者を後ろかドミノのように押してしまったようです。数人は逃げられたようですが、女性はそのまま倒れ、肩が外れたか骨折したようで、法要中に救急車が二台駆けつける事態となりました。管理人も、この法要の様子を撮影するためにカメラを持参しましたが、人ごみのなかでは、なかなか頭越しに撮影することは難しく、脚立を用意しての撮影となりましたが、一般の旅行者や参拝者のなかには、石垣や大灯篭の脇にしがみ付き写真を撮影している姿は数多でみられました。誰もがベストショットを撮影したい気持ちはわかりますが、無理な体勢は事故に繋がりかねませんし、一人だけの怪我だけでは済まない場合もあります。
また、関連して、このような人ごみのなかを狙って、スリも横行しているようです。善光寺でスリなどというのは、もってのほかなのですが、世情を反映してか、ここが稼ぎどきとばかり、被害もかなりの数に上っているとのこと。こちらも十分注意したいものです。
そして、この時期に善光寺を観光ルートに加えた旅行会社へ。善光寺御開帳は、「大法要」が行われる時だけがその期間ではありません。今回、撮影中に遠くから見えられた旅行者の方々とお話をする機会がありましたが、これだけ多くの参拝者が訪れますと、ゆっくり参拝もできない、何しに善光寺に来たのかわからない、とボヤいる方々がほとんどでした。また、団体旅行よりも、個人で善光寺を訪ねたほうがよかった、と話される方もいて、団体旅行にこの「中日庭儀大法要」を組み込んだことに対する不満もありました。
これでは、はるばる遠くからバスに揺られて訪れた観光客の方々に対し残念でなりません。本堂への参拝は、法要が行われている間はできませんし、回向柱に触れることはできないのです。それでは、何のためのツアーか意味がありません。善光寺ツアーに申し込みされた皆さんの思いをよく理解された上で、スケジュールを立案されたほうがよいのではないかと思います。
さて、二つの「中日庭儀大法要」が終了すると、七年に一度の盛儀「善光寺御開帳」もラストスパート。次の見どころは、25日に行われる賑やかな山車が繰り出す「屋台巡行」となります。



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 030525_0929_善光寺御開帳・権堂の勢獅子
権堂町の「勢獅子」と屋台

弥栄(やさか)神社御祭礼 屋台巡行 ( 2003. 5. 25 )
好天に恵まれた25日、善光寺と善光寺に続く中央通りで、弥栄(やさか)神社ご祭礼の行事「 お先乗り 」と「奉納屋台巡行」が行われ、白馬に乗った地元小学生の岸さんが御祭礼の役員らを従え善光寺に向けて出発。その後に、「 権堂町 」「 南千歳町 」「 上千歳町 」「 北石堂町 」「 大門町 」「 西後町 」「 南石堂町 」「 元善町 」八町の華やかな屋台が続き、表参道の中央通りに集まった住民らは、久しぶりの巡行となったわが町自慢の屋台の様子を見守りました。
屋台は新田町の交差点から善光寺に向け、午前9時半頃から進み始め、進行途中では奉納舞踊も披露され、沿道を埋め尽くした 観衆 から盛んに拍手が送られていました。その屋台巡行のなかでもひときわ目立っていたのは、先頭を進んだ「権堂町」の屋台と「勢獅子」(きおいしし)の練り歩き。権堂の勢獅子(きおいしし)は、江戸時代の天保年間から続く伝統行事で、正月と祇園祭りには悪魔払いと称し、乱暴御免とばかりに町内を舞い暴れた名物獅子。明治7年の県庁舎が落成した際には、祝賀式の最中にもかかわらず乱闘騒ぎを起こすほどの勇ましさあったそうで、広い中央通りを左に右に練り歩き、大きな口を開けては観衆を威嚇する姿は、当時の勢いを十分感じさせる迫力のあるものでした。

030525_0916_善光寺御開帳・御先乗り 030525_0918_3_善光寺御開帳・御先乗り
  新田町交差点を出発した「お先乗り」の行列
030525_0934_善光寺御開帳・権堂の屋台 030525_0937_善光寺御開帳・南千歳町の屋台
権堂町の屋台 南千歳町の屋台
030525_0941_2_善光寺御開帳・上千歳町の屋台 030525_0946_2_善光寺御開帳・北石堂町の屋台
 上千歳町の屋台 北石堂町の屋台
030525_0950_1_善光寺御開帳・大門町の屋台 030525_0956_善光寺御開帳・西後町の屋台
 大門町の屋台 西後町の屋台
030525_1010_善光寺御開帳・元善町の屋台 030525_1021_1_善光寺御開帳・南石堂町の屋台
 元善町の屋台 南石堂町の屋台

「屋台巡行」の感想と今後の課題
030525_0959_善光寺御開帳・西後町の屋台
西後町の屋台
この「屋台巡行」、かつてはそれぞれの町に屋台があって7月の「祇園祭」に併せて運行され、その豪華絢爛な姿は日本三大祇園のひとつにも数えられるほどだったと伝えられています。
しかし、都市化が進むにつれて祭りに携わっていた人たちの多くが市郊外に転出してしまい、公民館の倉庫に屋台は残されているものの、寄付で賄われていた組立資金が集まらず、今回、お披露目を断念せざるを得ない町もあったということです。屋台を組み立てるには、専門の職人さんの腕が必要です。しかし、その職人さんも時代とともに減っており確保することも難しくなっていることも原因になっているのかもしれません。
かつては、市内の屋台を分解することなくそのまま保管できる会館を建てようという機運もあったそうですが、実現に至らず、今回参加された八町の屋台も多額の費用をかけ、事前に組み立ててから運行となりました。
江戸時代や明治時代の立派な透かしを掘り込んだ屋台がありつつも、こうしたイベントに披露できないのは、まさに宝の持ち腐れといった状態。「屋台会館」のようなものでこれらの屋台を常設展示することができれば、新たな観光資源として活用できる方法もあるのかもしれません。市や県などの行政機関の協力を仰ぎながら、早急に大事な文化財を保存する方向で検討されたほうが良いのではないかと、この話を聞いて思いました。


>>> 善光寺御開帳

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