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130814_0847_道の駅どんぐりの里いなぶ(愛知県豊田市武節町)
城址から望む武節町の風景

愛知県豊田市武節(ぶせつ)町の国道153号線沿いにある戦国時代の城跡(地図)。
室町時代の永正年間に田峯(愛知県北設楽郡設楽町)城主菅沼定信によって築城。
天正3年(1575)の長篠合戦で敗れた武田勝頼が甲州へ落ち延びる際、この城で休息を取ったと伝えられています。
(写真:城跡から望む武節町の風景=14日午前撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
道の駅どんぐりの里いなぶは、愛知県から信州に向かう国道153号線沿いに立地し、多くのドライバーが立ち寄ることから、行楽シーズンともなると大変な賑わいになります。このため駐車場の確保がままならず、残念ながら素通りしてしまうことが多いのですが、幸いにも今回は時間帯も早めに到着できたため、武節城址まで足を延ばすことができました。
城址は道の駅から歩いて10分程度。少し急坂な車道をとことこ歩いて本丸へ。かつては物見台や狼煙台があったと伝えられる八幡神社まで歩き、帰りはお墓の横を抜ける遊歩道をのんびり下って道の駅に戻りました。

<参考HP>
・ どんぐりの里いなぶ
  http://www.dongurinosato.com/


武田勝頼ゆかりの武節城址 (8月14日)
130814_0835_1_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町) 130814_0835_2_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町)
本丸に続く車道入口 入口にある湧水
130814_0840_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町) 130814_0843_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町)
武節城址本丸跡 八幡神社(物見台・狼煙台跡)
130814_0844_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町) 130814_0845_武田勝頼ゆかりの武節城址(愛知県豊田市武節町)
八幡神社から望む本丸跡 武器や兵糧を補完した蔵屋敷跡


<参考資料> 武節城址
この城は、名倉川を臨む断崖上にあり、段戸山系に続く尾根の先端を掘切って男山とし、これに主たる郭4従たる小郭10数箇所を配した群内では有数の平山城であります。麓には、問屋。古町屋(市場)、姫井戸など当時からの地名が残っています。
一名地伏城とも呼ばれるこの城は、永正年間に田峯城主菅沼定信の支城として築かれ、菅沼十郎などの城代が遣わされました。
弘治2年(注:1556年)、下條信氏の侵略をうけて激戦がありました。また、元亀2年、武田信玄の三河侵入のときには、本城である田峯とともに戦わずして軍門に降りました。天正3年、長篠で大敗した武田勝頼は、この城で梅酢湯を喫し甲州に帰ったと伝えられています。越えて7月、酒井忠次の攻略され、奥平信昌の領に加えられましたが、天正18年、徳川家康の関東移封とともに廃城となりました。
(稲武町教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 武節城
永正年間に田峯城主菅沼定信によって築かれ、天正十八年(一五九〇)最後の城主奥平信昌が家康に従って関東に転封になり廃城となった。その間約一〇〇年にわたって存在した城である。
信州と美濃の国境にあり、三河の最前線基地として狼煙によって敵の情勢を味方に伝えるという情報網の中心にいて重要な役割を果たし、戦乱の時代にあって戦火に明け暮れ、小さな平山城ではあったが武田、徳川にとってたいへん気になる存在の城であった。
いまも城跡は二の丸、三の丸と階段状に下がり、本丸の上にはかつての物見台や狼煙台の跡に八幡神社がある。周囲には十数カ所の曲輪の跡があり、五百年前の空堀が当時の名残をとどめている。

武節谷合戦
弘治二年(一五五六)十一月、信州の下條信氏に攻められ激しい合戦の末落城した。城下には姫が身を投げたという「姫井戸」の伝説がある。

武田の大軍が城下を通過
元亀二年(一五七一)四月、武田信玄が本格的な三河侵攻を開始、二万五千の大軍を率いて飯田から南下し、杣路峠(注:そまじとうげ)を越えて城下に迫り、武節城は戦わずして武田の軍門に降った。信玄はさらに足助城を落とし、下山から作手へ登り亀山城を落とし、新城に降り野田城を攻め、吉田城を脅かして甲州へ帰った。

徳川信康の初陣
天正元年(一五七三)三月、徳川家康の長男信康が十四才の初陣に武節城を攻めた。そのときの模様は山岡荘八の小説「徳川家康」の中に詳しく書かれている。

武田勝頼武節城に泊まる
天正三年(一五七五)五月二十一日、長篠合戦に敗れた武田勝頼は、田峯城主菅沼定忠に伴われて敗走、田峯城に入ろうとしたが家臣の反逆にあって果たせず、やむなく段戸山を越えて武節城にたどり着き、一泊して自分の支配地である信州へ逃れた。
(案内板から)





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