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160816_1309_杖突街道・御堂垣外宿(伊那市高遠町)

伊那市高遠町藤沢の杖突街道(国道152号線)と金沢街道の分岐にある宿場町(地図)。高遠藩や飯田藩の参勤交代は、この宿場町から金沢峠を経て、甲州街道金沢宿に至るルートを利用しました。
(写真:杖突街道 御堂垣外 藤沢郵便局隣に残る本陣表門=8月16日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 伊那市観光協会
  http://inashi-kankoukyoukai.jp/
・ じゃかんが往く
  http://hmjacquin.travel.coocan.jp/

<参考資料>本陣跡
160816_1308_杖突街道・御堂垣外宿(伊那市高遠町)
杖突街道と金沢街道の分岐
ここは、江戸時代の参勤交代の大名行列の一行や、幕府の役人などが宿泊した御堂垣外(みどがいと)宿の本陣跡で、金沢街道を往来した高遠藩の内藤家、飯田藩の堀家をはじめ、旗本の知久(ちく)、近藤、小笠原、座光寺(ざこうじ)などの諸侯が利用しました。
御堂垣外宿が整備されたのは、天和年間(一六八一-一六八四)といわれ、当初は本陣にかわる「御茶屋」が置かれていました。御茶屋が廃止され、正式に本陣が設置されたのは享保十年(一七二五)で、以来明治時代に至るまで、藤澤家が世襲で永代本陣役を務めました。なお、御堂垣外宿に脇本陣は設置されず、問屋油屋が脇本陣役を務めています。
本陣の建物は藩費で建築や修復が行われ、食器や調度品、宿駕篭(しゅくかご)などは藩からの貸与品でした。今も残る表門や上段の間(殿様座敷)、江戸時代中期に作庭された枯山水の庭園、大名籠を置く籠立石(かごたていし)などは、往時の面影を伝えています。
(伊那市教育委員会設置の案内板から)




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