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100220_1131_昭和電工広津発電所(生坂村)

東筑摩郡生坂村の広津(地図)にある昭和電工直営の発電所。昭和電工大町工場で行われていたアルミニウム生産に必要な電力を確保するために設けられたもので、高瀬川などから取水された発電用の水は、同社常盤発電所(大町市)から導水路を通じて広津の発電所に供給されています。
(写真=20日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 国土交通省北陸地方整備局 大町ダム管理所
  http://www.hrr.mlit.go.jp/omachi/


100220_1133_1_庚申堂の庚申塔(生坂村) 100220_1133_2_庚申堂の庚申塔(生坂村)
庚申堂の庚申塔 嘉永4年建立の相対道祖神

<参考資料> 村指定文化財 庚申堂の庚申塔
一、庚申堂の古い時代は観音堂で本尊は観音立像である。
一、青面金剛庚申塔、寛延三庚念(一七五〇)の建立、像の上部に日月、下部に左右に二鶏、三猿を二段刻み生坂では最も優れる。
一、六地蔵庚申塔 年号はない。単独にあれば六地蔵であるが、庚申堂の前にあるのは庚申塔と考えてよく、生坂では珍しい。
一、相対道祖神は嘉永四年(一八五一)梶本村の建立。
(生坂村教育委員会設置の案内板から)


100220_1136_現在の昭津橋(生坂村) 100220_1131_昭和電工広津発電所の建物(生坂村)
昭津橋と梶本の舟渡跡 広津発電所の建物

<参考資料> 梶本の舟渡跡
古くからある舟渡で天正十年(一五八二)九月、小笠原氏はこの舟渡を渡って万平にいた丸山氏を攻略した。
享保九年(一七二四)の水野氏の記録にものる重要な舟渡である。昭和十四年昭津橋が出来て廃止となる。 (生坂村教育委員会設置の案内板から)

<参考資料>
この辺は犀川に面した畑地で、昭和十二年七月昭和電工株式会社が広津発電所を起し、昭和十五年五月より運転された。
昭津橋架替により道路整備を行ない、観音堂、公民館、道祖神、庚申塔等を、平成十四年十二月十六日この地に移転した。
石神仏像の安置に使用の礎石は、その昔の観音堂の土台に使用されていたもので、特に座している聖観音像はいつ頃なのか、また知る人も無く地域の活力に光明を与えようと、本堂下屋敷の土中より、平成十四年九月三日作業中に発見されたもので、右端に立ててある堅石は、若者の力試しに使用されたものである。
新しく昭津橋の完成とこれに関連しhた道路の改良整備、木材ふれあい体験館(観音堂併設)の完成の機会に、この種の起源と先人の偉業に思いを寄せ、文化財的意義を尊重し崇敬者一同観音堂の祭事に当り屋形を建造(屋根銅板)した。 (昭津区特別対策委員会設置の案内板から)

<参考資料> 昭津橋にある記念碑碑文
この地梶本は、広津村の南端に位置し対岸の下生坂には犀川を渡し舟で往来し、大町と善光寺を結ぶ重要な交通施設でありました。
昭和十二年七月七日、日支事変が勃発し国民総動員の年、昭和電工(株)は発電所建設計画をし、梶本地籍に総工費六百弐拾五萬余円を投じて昭和十五年五月に営業を開始しました。
発電所建設に伴い国の施策で尊い土地を提供した先人は将来を思い、補償交渉で渡し舟にかわる橋を架けることを求め、昭和十五年春に梶本橋が出来ました。これに係わる道路も会社で維持管理されて、地元住民はもとより地域社会はこの恩恵に浴することができ、又、営業開始に先立って農産加工施設への電気設備や飲料水の供給など、希望に応え昭和十四年八月五日協定が成立現在に至っています。
昭和三十二年三月三十一日、町村合併にほり昭津区となり「昭津橋」と改め、供用開始以来実に半世紀に及びました。
しかしながら昭和六十二年四月、会社は危険状況となった橋の交通規制を余儀なくされ、発電所建設と相俟って社会的公共性は、地元はもとより産業経済に貢献すること、計り知れないものがありました。
発電所建設をはじめ、これに従事されてこられた方々と友好な連帯を持って今日に至ったことから、発電所の在る限り協働して、社会福祉の進展を願うものであります。
通交することの出来ない不便さは、村民の悲願として永久橋実現を会社に又関係機関に奔放しながらご協力を頂き、平成三年三月昭津橋架替促進期成同盟会を発足し、会長に小山富治男氏が就任し幾多の困難に突き当りながらも実現に努力されました。
昭和電工(株)の用地提供など関係者の懸命の努力により、県の過疎代行事業による木製の吊橋が近代的な永久橋として、又、道路整備等次代への隆盛の賜物として感謝を申し上げます。
このような関連整備事業は、由緒ある上野農村公園、高津屋森林公園など基軸として進められ、県下でも希な信州木材ふれあい体験館(観音堂併設)を会社の跡地に新築し、観音堂の敷地内よる何時ごろとも知れず埋れていた聖観音像の石仏が発見された。
隠然とした光明は地域の人達に与えられ、心の活力として益々尊敬の念を重んじ、生活圏の拡大と産業文化の発展のよりどころとして永く信仰の念を願うものであります。
課題提起から実に十七年、総事業費九億壱千七百余萬円の巨費を投じて、平成十七年六月三十日懸案の事業の完成をみたのであります。
この事業推進にあたり関係者の方々、地権者ならびに施工業者にはその労を謝すとともに、先人の努力の偉業に感謝の意を捧げ、ここに記念碑を建立し永くこれを記念するものであります。





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