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諏訪郡富士見町上蔦木の国道20号線沿いに残る、甲州街道・蔦木宿本陣表門。
(写真=13日撮影)
<マピオン地図>
・ 諏訪郡富士見町落合
※ 上蔦木集落センターに駐車場
<参考資料> 甲州街道蔦木宿と本陣表門の沿革
蔦木宿は江戸幕府の宿駅制度によって、慶長十六年(一六一一)ころ、甲州街道中第四十三番目の宿駅として設置された。街は街道に面して屋敷割りをし、本陣・問屋などが位置づけられた。本陣の規模は広大で多くの座敷や板敷、土間のほか堂々とした門構えや広い玄関、書院造りの上段の間などを具備していた。この宿駅は、元禄十五年(一七〇二)、延享三年(一七四六)、明和元年(一七七一)、寛政六年(一七九四)、文化六年(一八〇九)、元冶元年(一八六四)の計六回の大火にあり罹災戸数も知られているが本陣の類焼についての詳細は不明である。
この宿場街は、明治維新による宿駅制度廃止と、さらに、鉄道がこの宿駅から離れたところに敷設されたため次第にさびれていった。本陣も主屋は、明治四十年(一九〇七)に南原山に移築され、渡辺別荘(分水荘)として活用されていたが、老朽化したため昭和五十年代に取りこわされた。本陣主屋は弘化三年(一八四六)五月の建築であり、甲州道中における、本陣建築の遺構として惜しまれる建造物であった。
この表門は、構造手法、および使用材料よりみて、主屋よる新しく江戸時代末期の元治元年の火災後の復興になるものと考えられる。明治二十八年(一九〇五)池袋区の、平出武平氏がゆずり受け、同家の正門としていたが、平成二年(一九九〇)本屋取りこわしに際して町の歴史民俗資料館に保存された。
かつての蔦木宿の面影をしのび、心のよりどころにとの区民の強い要望から、平成四年(一九九二)七月本陣跡地に復元された。建物の造りは簡素であるが数少ない本陣表門として貴重な遺構である。 (「本陣表門の構造形式」は略、富士見町教育委員会、上蔦木区設置の案内板から)
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