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長野市の長野運動公園東側にある神社(地図)。

<管理人ひとこと>
八幡神社の北東に高山氏館跡(石渡館跡)と伝わる中世の城館跡(長野市埋蔵文化財 遺跡番号 B-202)が存在。

<参考HP>
・ 長野市文化財データベース
  http://bunkazai-nagano.jp/

<参考資料> 八幡神社
八幡神社の祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)である。もと曹洞宗地蔵寺の境内にあったが、天文三年(一五三四)現在地に移ったといわれている。領主石渡戸氏の氏神ともいわれている。
天正年間(一五七三~一五九二)に、字二反田にあった諏訪社(建御名方命・八坂刀売命)を八幡社に一緒にまつったといわれている。
秋祭りは体育の日、春祭りは四月吉日、七年に一度御柱祭が行われる。
八幡社の棟札には、天明七年(一七八七)神主深沢土佐正藤原直賀、大工棟梁徳永七郎右衛門や村役らの名が書かれている。
拝殿内には、文政六年(一八二三)と文政十年(一八二七)の俳句額が掲げられている。小林一茶の名もある。また、拝殿正面の彫刻は素晴らしいものである。
昭和三〇年ころまで行われていた、伊勢社や諏訪社の代参の費用は、諏訪田、伊勢田といわれている田からの収入でまかなっていた。
境内には、庚申塔・道祖神・蚕神・惣魂神などがある。惣魂社の下には、境内から出土した五輪塔が埋められている。
神社前の道は、山道と呼ばれ尾張部から三才山までの主要道路であった。
(石渡区設置の案内板から・平成十三年)


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190518_1040_平林城跡(長野市)
平林城跡(長野市平林)

長野市平林のJR東日本長野車両センター南側に残る城跡(地図)。武田二十四将のひとりである原美濃守虎胤( Wikipedia )の居城として伝わる。
(写真:平林城跡=18日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 日蓮宗 栄久山 原立寺
  http://genryuji.jp/

<参考資料> 平林城跡
町村誌によると「東西六十六間、南北五十六間、東に本丸、西に二の丸あり、その間に幅二十間の内堀、四方に十間の外堀を巡らし」と記録されております。
城主は永禄年中(一五五八年から同六九年)武田氏の将であった原美濃守の居城だったと云われており、この近くにある宝樹院には城主奥方の位牌が安置されております。
昭和初期まで、高台は畑、堀は水田で或程度城跡としての名残りがあったが、昭和十八年と昭和四十四年に国鉄(JR東日本)に買収されその形態は全て消滅してしまいました。
現在の位置は本丸への入口です。
平成九年(一九九七年)四月吉日
(案内板から)





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平成29年8月に亡くなった伯父の遺品を整理していたところ、鍋屋田国民學校(鍋屋田小学校)に通っていた頃に行われた遠足のしおりが見つかりました。それによれば、尋常科5年生の昭和16年(1941)6月は一泊二日で長野市戸隠に、尋常科6年生の昭和17年(1942)は直江津方面へ修學旅行、高等科1年生の昭和18年(1943)7月には万座温泉・草津白根山へ「鍛錬遠足」にでかけていたようでした。
謄写版(がり版刷り)印刷ではあるものの、当時の先生方のとても几帳面な文字にはそれだけでも驚かされるのですが、更に驚かされるのはその内容で、当時としては普通でも、今ではびっくりするような行程での遠足が行われていたことでした。
今回、こうした資料が我が家で埋もれてしまうのもどうかと思い、3回に分けて、当時の子供たちの遠足の様子を紹介してみたいと思います。最終回の3回目は高等科第1学年生時に出かけた万座温泉への鍛錬遠足について。変換できない漢字も多々ありますので、それについては現在の文字で表記してありますのでご了承ください。

「戦前の遠足」その参~鍋屋田国民學校高等科
鍛錬遠足
日程 
七月八日(木)
學校集合午前六時十分、権堂駅發六時四十七分(須坂駅マデ電車)
須坂(十三粁 三時間)-山田温泉(十二粁 三時間四十分)-萬座峠(二粁 三十分)-萬座温泉 萬座温泉着午後五時頃ノ予定、宿泊、
七月九日(金)
萬座温泉發午前六時三十分
萬座温泉(四粁 一時間三〇分)-白根山(六粁 二時間)-横手山(五粁 一時間三〇分)-熊の湯(十二粁 三時間)-湯田中(午後六時頃着の予定)
湯田中駅發午後六時四十八分、権堂駅着午後七時五十五分。駅前にて解散。

須坂町(上高井郡)
上高井郡の中心地で善光寺平の東北隅に位し 人口二万、岡谷市に次いで縣した第二の製糸工業の盛んな所である。
須坂町を出て山田温泉へ向ふ十三粁は平たんな田圃道である。所々に髙い柱を立ててホップを栽培してゐるのが見られる。(後に記載してある植物の図参照) ホップについて少し説明すれば ヨーロッパ、アメリカ及び西部アジアに産する蔓性の多年生草木にして長さ三米に及ぶものあり、葉は卵形にして三乃至□(※不明)分裂す、花は單性にして帯黄緑色を呈し 雌雄異株に生ず。果□(※不明)一見松の毯果の如し、果実は苦味質と揮発油とを有するを以て胃剤とし、また麦鮭(ビール)に苦味と芳香とを附するに用ひる。ホップの産額は我が長野縣は全国に於ても屈指の産額を示し 特に高井の地方は縣した第一の栽培地である。

高井橋
山田温泉の直ぐ手前、松川の渓流にかけられた橋で、名の如く「高い橋」である、この橋を渡れば山田温泉がすぐ見える。

山田温泉(上高井郡山田村)
元應元年(後醍醐天皇、紀元一九七九年)の發見と傳へ、後元和元年(後水尾天皇、紀元二二七五年)福島正則(豊臣秀吉の家來)が徳川氏のために信州の高井郡に封ぜられてから、正則の盡力によってこの温泉が漸次開発されたといはれてゐる。松川を脚下に控へ三方山に圍まれにしの一方は遠く善光寺平を望み、夏は気温低く避暑にも適し長野地方の人々に親しまれてゐる温泉である。須坂より乗合自動車の便がある。

五色温泉(上高井郡山田村 海抜一一三〇米)
七味温泉(上高井郡高井村 海抜一一一八米)
両温泉とも松川の流に沿ひ、附近一帯の濶葉樹林に圍まれ静かな山間の小温泉場である。

萬座峠(長野、群馬の縣境 海抜一八二七米)
七味温泉を過ぎてから山道は次第に上りになり本日第一の難関の萬座峠にかゝるのである。深い渓谷の美を味はひながら一歩々々上る傍には平地では見られない美しい高山植物が澤山目につく。そのうちの主なるものは次のようなものである。図と比べて名をおぼえなさい。
※イスシデ・クマシデ・ホップ・ガミ・ゴゼンタチバナ・コケモモ・マヒヅルサウ・ナナカマド・ドウダンツツジ・シャウジャウバカマ・サギスゲ・ツマトリサウ・ツリガネツツジ
又峠の上り道には一面に熊笹の枯れてゐるのが見られる。熊笹は花が咲くと枯れてしまふのであるが、今年あたりでも枯れた笹の中に花の咲いたのが少し見られる。
峠の頂上は見晴らしがよく 西方には笹ヶ岳(二〇七五・八) 御飯岳(二一六〇・二)を望み 東南には遠く浅間山の噴煙を見ることが出來る。ここから愈々上州(群馬縣)に入るのであるが、萬座温泉まではここから約一粁で達する。峠から少し下れば 明日登る白根山がどっしりとした姿をして正面に聳えてゐる。

萬座温泉(群馬縣吾妻郡嬬恋村 海抜一五五五米)
日本に於ける有數の高山温泉である。温泉は砒素含有酸性明礬泉、酸性泉、緑礬泉で姥湯(うばゆ)、苦湯(にがゆ)、塩湯などの源泉があり、胃腸病に特効があり、婦人病、脳病、皮膚病、リユウマチスなどにも効くといふ。豊國館、日新館、常磐屋の湯屋があり、我等は豊國館に宿泊する。

白根山(一に草津白根ともいふ 海抜二一〇二米)
噴火口に直徑四〇〇米でその活動は有史以前のことである、其後火口の中に爆裂火口が三個出來、中央を湯釜ととなへ 明治十一年に出來たもので酸性の熱水をたゝへ、北の隅に硫気孔が数個あって水蒸気と瓦斯を噴出してゐる。湯釜の西部の火口壁上には硫黄を混ずる泥土が堆積してゐて、今盛にそれを掘ってゐる。湯釜の西に涸釜(カレガマ)、東にあるのが水釜といふ。
この火山は明治年間よりしばしば活動した。山頂の南に多くの爆裂火口があり、そのうち最大なものが二個隣接して弓形をなして水をたゝへてゐるものがある。これを弓池といふ。
「◎爆裂式噴火とは火山瓦斯或は水蒸気の急激な爆発的逸出をともなふ噴火現象をいふ。現在の活火山は大部分此型の噴火をなす。」
萬座方面より上れば 針葉樹の森林帯を抜け出て立枯の喬木多き焼野を進み 右に弓池を見て進めば 硫黄採取の小屋に出る。それより二百米北へ進めば火口壁の西頂に達する。ここから涸釜が見下される。それより東北に向ひ壁上を辿って行けば 左に一段低く湯釜が見下され、更に進めば火口壁上の東端に達する。ここは白根山の最高点で水釜が左方直下に見える。
山上の展望は廣く、北には近く岩菅山に対し、東には群馬縣北部の諸山の波涛の如く起伏するかなたに日光白根を望み、東南には裾野の美しき赤城山及び群峯の□□(※不明)する榛名山を眺め、近くに本白根山、四阿山を見、遠く浅間山の噴煙が仰がれる。更に西方は日本アルプスの雄大なる山列に対し、西南には蓼科火山が見える。
白根山地方では硫黄の採掘が行はれ、昭和十年頃の産額を見ると小串鑛山は約一万九千トンで内地第三であった。

芳ヶ平(海抜一八三一米)
白根山より東北へ下ること約二粁、立枯の喬木(明治初年の爆裂噴火の以前は山全体が針葉樹の密林であったが、噴火の折、降灰と噴出瓦斯のために數百町歩の密林が枯死し、今に立枯れたまゝ森林んをなして奇観を呈してゐる。)の間を過ぎて 湿地帯の低地に出る。ここが芳ヶ平で ここより白根山登山道、渋峠道、草津温泉道へと三方に道が分かれてゐる。古來より有名な草津温泉はここから東南へ約八粁で達する。この辺には高山植物「ナナカマド」が多く 又湿地帯には「ヤマボウシ」が一面に白く咲いてゐる。

澁峠(海抜二一七二米)
芳ヶ平より北西へ進み、横手山(二三〇四・九)の中腹を通って熊の湯へ向ふ上信國境がこの峠である。眺望はあまりよくはないが峠の中腹より上州の草津の町が見られる。「イハカガミ」の群落が美しい。
峠の頂上を信州の方へ下ってクマの湯へ向ふ途中の横手山の断崖は素晴らしい眺である。松川の流をはるか下に見て、西方に笠ヶ岳を望み 遠く四阿山を仰ぐことが出來る。

熊の湯(下高井郡平穏村 海抜一七〇〇米)
渋峠から火山岩の露出した石ばかりの道を下ること約三粁で熊の湯へつく。笠ヶ岳の麓にある温泉で佐久間象山先生の発見といはれてゐる。硫黄泉で静かな山間の小温泉である。

志賀高原
熊の湯温泉の東北にある志賀山(二〇三五)を中心として東は大沼池、西は琵琶池に至る一帯の地をいふ。森林、岩石、渓谷、湖沼、温泉等あらゆる景勝の要素を備へ、夏はキャンプ場として 冬はスキー場として近年微かに世に知られて來た。
我々の通るところには大小澤山の池があり 紺靑の水面の周圍の喬木のうつる美しい景色を見ながら進むのである。熊の湯に近い方から木戸池、三角池、小池、長池、丸池をあって、丸池の東の高台に観光ホテルの美しい建物が見られる。丸池を過ぎて橋を渡って右手に琵琶池が見られる。

幕岩
熊の湯から少し下ると前方角間川の上流に 蜂の巢をたゝきつぶしたやうな一枚岩の奇岩が聳立してゐる。これを幕岩とよんでゐる。岩の下に幕岩滝があり、この辺には岩燕がたくさん飛んでゐる。
丸池から湯田中まで乗合自動車の便がある。我等は健脚を以て近道(波坂といふ)を上林温泉まで下るのである。
上林から澁・安代・湯田中と上高井郡(※下高井郡)平穏村の温泉町を通るのであるが、平穏村は大変温泉の多い村で前にあった熊の湯、発哺(岩菅山の麓)、地獄谷と約七つの有名な温泉がある。

湯田中の百尺観音
安代と湯田中の間に近年出來た百尺観音といはれる大佛がある。緑濃き山を背景にして温泉街を眼下に見下して立っておられる姿は、はじめて拜する我等の眼を驚かすことであらう。

諸注意
○凡そ各班毎に一單位となって行動せよ。
○決して自分勝手の行動をせぬこと。
一人の不始末なる行動によって全体の動きに支障を來すやうなことをしてはならぬ。自分一人は團体の一人なることを常に自覺して慎重なる思慮の下に行動せよ。
○歩行上の注意
一、路傍の草木は先生の許可のあるまで勝手に取ってはならぬ。
二、無断で列を崩れぬこと。又前の歩行者との間を常に注意しておくれぬやうにせよ。
三、急坂にかゝったならば一歩一歩地上を注視しながらゆっくり上り、おくれたからといって飛んではならぬ。特に白根山の火口附近、澁峠より熊の湯へ下る處はよく注意して先生の命令に從って慎重に行動せよ。
四、休憩の時は直ちに地上に腰を下し、リュックサックをとって休むこと
五、常に整然と歩行することは 團体全部の気持を始終緊張させ 且歩行時間を節約することが出來るものである
六、電車の乗り降りには特に注意し、決して先を爭ってはならぬ。
○宿泊所に於ける注意
1、家の中は絶対に飛んで歩かないやうにせよ。宿には病気療養のために來てゐる浴客が居るから、喧騒にならないやうに気をつけよ。
2、先生の許可なく外出したり、入浴してはならぬ。
3、便所の使用は特に注意し、汚して他の人に迷惑をかけるな。
4、各自の持物は凡てリュックサックに入れてよく始末しておく。
5、就寝、起床の時刻をよく守り、明日の行軍に疲れぬやう十分熟睡のこと。
持参品
○衣類
1、腹巻(又ハその代用となるもの)
2、女子は寝衣(單衣か その他適当なもの)
3、着換への冬シャツ一、なほ夏シャツを一枚持てれば持った方がよい。
○食料品
1、第一日目の食糧は普通の遠足の時のくらゐでよい。第二日目の晝食は温泉宿よりいただく分では稍々不足するし、湯田中着が少しおそくなるから適当に持参すること。なほ食糧の補充は代用食にても結構である。
2、糖分を必要とするから、砂糖を少量持参してもよい。菓子は不可。
3、胡瓜を二本位なら持って行ってもよい。
4、味噌は体力をつけるものであるから、持って行けたら少し持った方がよい。
○其の他
手拭、雨具、鼻紙、新聞紙(二、三枚) 草鞋の者は補充に一足。薬品は学校で用意するも 平常用ひてゐるものは持参してもよい。水筒は必ず持参。もしなければ適当な瓶でもよひ。

<管理人ひとこと>
須坂駅から山田温泉・万座峠を越えて万座温泉に至るルートを歩くとは凄すぎる…。しおりには、女子向けの記載もあるから、歩いていったのかもしれませんね。戦時中は子供たちも大変だったことがわかります。病弱だった伯父さんも参加したのかどうか、生前に聞いておけばよかったな…。


 「戦前の遠足」その参~鍋屋田国民學校高等科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3125/
 「戦前の遠足」その弐~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3124/
 「戦前の遠足」その壱~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3123/


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190506_直江津方面修学旅行から髙田・直江津周辺地図
直江津方面地図
(旅行案内から)
平成29年8月に亡くなった伯父の遺品を整理していたところ、鍋屋田国民學校(鍋屋田小学校)に通っていた頃に行われた遠足のしおりが見つかりました。それによれば、尋常科5年生の昭和16年(1941)6月は一泊二日で長野市戸隠に、尋常科6年生の昭和17年(1942)は直江津方面へ修學旅行、高等科1年生の昭和18年(1943)7月には万座温泉・草津白根山へ「鍛錬遠足」にでかけていたようでした。
謄写版(がり版刷り)印刷ではあるものの、当時の先生方のとても几帳面な文字にはそれだけでも驚かされるのですが、更に驚かされるのはその内容で、当時としては普通でも、今ではびっくりするような行程での遠足が行われていたことでした。
今回、こうした資料が我が家で埋もれてしまうのもどうかと思い、3回に分けて、当時の子供たちの遠足の様子を紹介してみたいと思います。2回目は尋常科第6学年生時に出かけたという新潟県直江津周辺を歩いた修學旅行。変換できない漢字も多々ありますので、それについては現在の文字で表記してありますのでご了承ください。

「戦前の遠足」その弐~鍋屋田国民學校尋常科
昭和十七年度 直江津方面修學旅行案内
日程 
十月二十三日 金
七時半学校集合-八時三十六分長野駅發乗車-十時三十七分春日山駅着下車-十二時春日山城阯着晝食-春日山神社-林泉寺-小丸山別院-五智國分寺-十六時わくら樓着宿泊
※注:「わくら樓」は新潟県上越市にあった割烹旅館で、現在は介護老人福祉施設和久楽になっているようです。
十月二十四日 土
八時旅館出發-水族館-直江津町-十三時十六分直江津駅發乗車-十五時十五分長野駅着下車-開散

長野
汽笛一聲 汽車は市内をぬけ稻田の中を走る。放送局のアンテナが二本目立って見える。

吉田
若槻陸軍療養所はこゝで下車して行く。駅の傍に北信一帯に配電する長野電氣株式會社の本社がある。この附近から豊野辺にかけて林檎畑が散在する。長沼村は特にその産地として知られている。

豊野
飯山鉄道の起点 この鉄道は 飯山・新潟縣十日町を経て 上越線に連絡する。正受庵・平隠温泉・志賀高原・野沢温泉がこの沿線にある。豊野は林檎の集散地であり 出荷の林檎が 駅の構内に積まれている。豊野駅を出た汽車はしばらく飯山線と並行して進むが やがて大きく左に廻り 鳥居川に沿って山間を上って行く。急な傾斜で鳥居川に迫る山々は美しく紅葉して 川のほとりの僅かの空地に苦勞して作られた段々の稲田をつつんでゐる。

牟礼
山間の小駅である。沿線には針葉樹林が目立ってくる。やがて鳥居川は右から左へうつり トンネルを二つくぐると古間駅となる。

古間
この辺一帯は鎌の産地で知られてゐる。汽車は 飯綱・黒姫の山麓の高原をすゝむ。晴天の時は この兩山が大きく裾をひいて左窓に見える。向って左が飯綱 右が黒姫である。既に右側にうつった鳥居川は川幅も狭くなり この駅を出てしばらくすると再び左へうつるが 汽車はこゝでこの川とお別れする。鳥居川の上流は 戸隠牧場を流れる御手洗(みたらし)川であり 下流は千曲川へ入る。

柏原
四年生の時來た所であり。一茶の生地であり 近くに野尻湖がある。汽車は黒姫山麓をすゝむ。附近の陰田は刈取がすみ 林の中には白樺の幹が見える。山峡に入ると同時に下りになり 矢の様な速さで雪除トンネルをくぐると 右側に發電所がある。これは野尻湖の水を落として發電してゐるものである。左側にも發電所があるが、この水源は関川である。山峡を出ると左にその関川がある。この川は鳥居川とは逆の方向に流れてゐることに氣づく。関川を渡ると 新潟縣となり やがて田口駅に着く。関川と鳥居川との分水嶺は柏原駅附近であることがわかる。

田口
駅の傍に信越窒素株式會社の大きな工場がある。駅の北西には赤倉温泉・池ノ平温泉がある。その附近はスキー場として名高い。積雪量は 三、四米ほどである。駅を出てしばらくすると 左側に小さな瀧がある。汽車は関川の深い谷を右手に見下して頚城平野に向って走り下る。途中二つの雪除トンネルがあり 之を出ると 右側に發電所がある。これは柏原駅を出て間もなく右に見えた發電所の水を再びこゝで落して發電してゐるものである。関山駅近くになると漸く視野が開ける。関川の下流は荒川といはれ直江津の海にはいる。

関山
駅のはるか南西に関温泉・燕温泉がある。汽車はこの駅で停車した後雪除トンネルの中を逆行して再び進路をとる。(この仕掛は勾配の急な所にある駅に設けられるものでスイッチバックといはれる。) 左は一帯の防雪林である。雪が多いことは この辺の家の造りによってもわかる。汽車の左窓からは遠く裾をひく妙高山の雄姿を見ることが出來る。妙高は 飯綱・戸隠・黒姫等 富士火山脈北端の火山群の主峯で 髙さは二四四六米であり 二重式火山である、徐行して雪除トンネルに入ると二本木駅である。

二本木
駅の傍に日本曹達株式會社二本木工場がある。最近は仕事が大きくなり寄宿舎がいくつも新しく造られて並んでゐる。やがて新井に近づくにしたがって 右方に頚城平野が開けてくる。

新井
駅を出ると左に大きな工場がある。汽車は廣々とした稲田の中をすゝむ。刈取られた□(※不明)に 田の畔に立ってゐる榛(はん)の木に棒を渡し そこにかけて干されてある。以前はこの辺でとれた米は越後米といはれて信州にはいってきた。荒川の支流の鉄橋を渡ると脇野田駅になる。

脇野田
見渡すかぎり稻田が續き 林にかこまれた民家がそここゝに見える。汽車が高田のまちにはいる手前左側に練兵場がある。

髙田
髙田市は人口三万 荒川の岸にあって頚城平野の中心をなし 米の集散地である。「雪の髙田」といはれる程雪の深い所で 道路をうづめる大雪は屋根の髙さにとどき 晝も室内は電燈をつけなければならないし 通りをはさんだ向かひの家とはトンネルをつくって徃來する。市の西方の金谷山は 今から約三十年前我が國で初めてスキーが行はれたところである。駅の東方一粁の所に髙田城趾がある。市内には東部第六十七部隊・第六十五部隊・師範学校・中学校・女学校がある。

春日山
稻田の中にある小さな駅である。往きにはこゝで下車する。

直江津

春日山城趾・春日山神社・林泉寺
曲りくねった山道を上って峯近くなると 松の梢越しに海が見える。城趾は南西に山を廻らし、北は日本海に面し、南東は附近一帯の平野を見下すことが出来る要害の地で 上杉謙信が居城とした所である。頂上は當時の本丸である。春日山神社には謙信を祀ってある。林泉寺は長尾氏の菩提寺である。此處は 謙信 幼時の學修所であり 又謙信の墓や川中島戦死者供養塔もこゝにある。謙信がかいた「春日山」「第一義」の額や 自畫像・川中島の戰で信玄に斬りつけた小豆長光の刀が寺宝となってゐる。

小丸山別院
親鸞上人が五年程居られた所で土地の人々を教へ導いた。親鸞□□(※不明)を改めたのは その頃といはれてゐる。

五智國分寺
聖武天皇の御代につくられたものであるが 今の建物は三百年程前に再建されたものである。紅葉し初めた杜の中に五智如來を安置した本堂や三重の塔が仰がれる。

水族館
國分寺のすぐ傍にある。規模は大きいものではないが 珍しい魚が美しい光を放って泳いでゐる。魚の種類は季節によってもちがふが 現在は なみあら・ぼうじゃうざめ・いそふぐ・とらふぐ・さばふぐ・こだひ・しまだひ・こち・うまづらはぎ・せんだひ・ぶり・まだひ・あかえび・すずき・くろだひ・はも・あわもちせいかい・わたりがに・おこぜ・きす・べな・さざゑ・等を見ることが出來る。

五智附近の海岸(名古の浦)
國分寺から松並木を通って宿泊旅館わくら樓に着く。こゝは切立った様な崖の上に立つ旅館で崖下には海水が迫っている。こゝに立って海を見ると 左方には崖がつづき 右方はなだらかな砂山が直江津まで續いてゐる。左方のものは段丘といって 海水に浸蝕されて出來たものであり 右方のものは風の作用で出來たものである。砂丘には幹の黒い磯馴(そなれ)松が植ゑられているが 不思議に皆海とは反対の方向に傾いてゐる。
波の静かな日であれば 波打ぎは行って波とたはむれたり 海水をなめてみたりするのも面白い。波のため永い年月すりへらされ角のない滑らかな小石に混って貝殻があり 又 あをさ・もづく・ほんだはら等の海藻が波に打ち上げられてゐることもある。この辺の海ではたひ・いか・いわし・さば等がとれる。なぎの日には 漁船を見つけることも出來るし 又 暗い会場に点々と漁火をみることも出來る。この海では潮の満干はそれ程多くない。海岸には鷗がゆるやかに飛んでゐる。夕方になると 水平線の彼方に 赤い大きい日が沈む。

佐渡ヶ島
直江津から三十八浬離れて居り 汽船で約四時間かゝる。島は東西五一粁 南北一0二粁 周囲凡そ二一一粁 面積八九〇平方粁 人口十一万 新潟縣に属してゐる。天氣の様子によって 遠く之を海上に臨むことが出來る。昔は しまながしの土地となってゐで 順徳上皇をはじめ奉り 日蓮上人 日野資朝等多くの悲話がある。

直江津町
人口約一万四千 荒川の河口にある港町 信越線と北陸線との連絡するところである。港は設備が乏しく良港とはいへないが 沿岸を通る船には大切な港である。北海道方面から 石炭・海産物を積んだ船がこの港に入って陸揚される。佐渡の小木港との間には定期船の便がある。

注意
一、出發の前
○持物 支度等は前日に用意し持物には氏名をかいておくこと。 ○出發の朝になって急に行かれなくなった場合は 必ず七時半までに知らせること。
一、持物・服装
○雨具・水筒・旅行案内・鉛筆・着更・手拭・はな紙・歯ブラシ・櫛(女子)・弁當(翌日の分も少し 之は代用食でもよい) 林檎ニケ 菓子又は飴少量 ○服装は質素で身輕なもの 履物はズック又はわらじ 脚袢(あるものだけ)
一、汽車
○乗り降りは 必ず汽車が止まってからにし あわてずに先生の指図にしたがふこと ○窓から顔や手を出さないこと ○汽車に酔ひさうになったら先生に知らせること ○車中で座席を離れて歩いたり 勝手に物を食ひ散らしたり 騒いだりしないで 窓からよく見学すること ○デッキには出ないこと ○降りるときには一停車場前位で用意し 忘れ物のない様にすること
一、見學
○先生の指図にしたがって規律正しくし 自分勝手のことをしないこと ○休んだ所では紙屑や食残り等を散らさないこと ○殊に水族館では水槽のガラスや壁にさわらないこと
一、宿泊
○はき物をそろへてよく始末すること ○自分の持ち物は一しょにまとめておくこと ○食事はしづかにし 不作法なことのない様にすること ○さわがずによく眠ること ○便所をよごさぬこと 又出發前に用便しておくこと ○夜は外に出ないこと ○先生の指図で行く以外は海岸に行かないこと ○宿の庭と海岸との間は 崖になってゐるから 充分に氣をつけること ○各班はいつもまとまった行動をとること


 「戦前の遠足」その参~鍋屋田国民學校高等科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3125/
 「戦前の遠足」その弐~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3124/
 「戦前の遠足」その壱~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3123/


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平成29年8月に亡くなった伯父の遺品を整理していたところ、鍋屋田国民學校(鍋屋田小学校)に通っていた頃に行われた遠足のしおりが見つかりました。それによれば、尋常科5年生の昭和16年(1941)6月は一泊二日で長野市戸隠に、尋常科6年生の昭和17年(1942)は直江津方面へ修學旅行、高等科1年生の昭和18年(1943)7月には万座温泉・草津白根山へ「鍛錬遠足」にでかけていたようでした。
謄写版(がり版刷り)印刷ではあるものの、当時の先生方のとても几帳面な文字にはそれだけでも驚かされるのですが、更に驚かされるのはその内容で、当時としては普通でも、今ではびっくりするような行程での遠足が行われていたことでした。
今回、こうした資料が我が家で埋もれてしまうのもどうかと思い、3回に分けて、当時の子供たちの遠足の様子を紹介してみたいと思います。1回目は尋常科第5学年生時に出かけたという「戸隠」。変換できない漢字も多々ありますので、それについては現在の文字で表記してありますのでご了承ください。

「戦前の遠足」その壱~鍋屋田国民學校尋常科
戸隠
行程 
第一日 六月五日 木曜日
午前六時學校出發-七曲り-荒安-大座坊子池-一の鳥居(十一時着)-大久保の茶屋-宝光社(二時着)-日の御子神社-貯水池-中社(四時着)
中社 神原・宮澤兩氏宅へ分宿
第二日 六月六日 金曜日
午前七時出發-小鳥の森-奥社(八時着)-中社-一の鳥居(十二時着)-學校(五時着)
解散

戸隠神社
奥社・九頭龍(くづりう)社・中社・宝光社・日の御子社を總稱して戸隠神社といふ。
一、奥社 祭神 天手刀雄命(あめのたぢからをのみこと) 第八代孝元天皇紀元四百五十一年天手力雄命の子孫が西の方の國から遠く信濃の戸隠に來て命ををこゝにお祀りした。
二、九頭龍社 祭神 九頭龍大神(おほがみ) 天手力雄命の子孫が戸隠に來た時、九頭龍大神の子孫は既に此の地に住んでその祖先を祀ってゐたが喜んで迎へ從った。奥社の向って左にあるのがこの社である。社殿は岩窟に通じてゐる。九頭龍大神は水の神・地主の神・五穀の神として崇められ、雨乞ひ・川除けなどの信仰がある。
其の後第六十二代村上天皇の天暦二年紀元一六〇八年天思兼命(あめのおもひかねのみこと)とその子天表春命(あめのうはばるのみこと)の子孫が伊那の方から來てその祖先の二柱の神を奥社に合はせ祀ったが後この二神は中社・宝光社となって分け祀られた。
三、寶光社 祭神 天表春命 第七〇代後冷泉天皇の康平元年紀元一七一八年奥社の南四十八町の所に天表春命を分け祀った。
四、中社 祭神 天思兼命 宝光社が分かれてから四十年程たった第七十三代堀河天皇の寛治元年紀元一七四七年奥社と宝光社の中間に天思兼命を分け祀った。
五、日の御子神社 祭神 天宇受女命(あめのうずめのみこと) 中社と宝光社との中間にある神社である。
○一の鳥居 大座坊子池からさらにすゝんで飯綱山の裾野を上りつめた所に大きな鳥居がある。戸隠神社第一鳥居である。この辺はなだらかに起伏する原がつづき景色がよい。
○宝光社附近 この辺の畑はそば・あさなどが作られでゐる。
○中社附近 中社の部洛入口の右側には大きな貯水池がある。これは長野市へ引いている水道の水源地である。 
中社前の廣場に二本 中社北の檀上に一本 合はせて三本の杉は戸隠山御神木三本杉として有名である。この木は今から二千百餘年前天手刀雄の命の子孫阿智の祝(はふり)が御神木として此の地に植ゑたものだともいはれる。
中社から奥社へ行く途中一帯の林はラヂオ放送でよく知られてゐる小鳥の森である。早朝この辺に行くと うぐひす・かっこう・ほとゝぎす其の他多くの小鳥の美しい音(ね)が聞かれる。
○奥社附近 奥社附近の原は 昔は一面の湖であったといふ。今もその名殘がある。
御手洗川の石橋を渡って 小さな鳥居をくぐり晝も薄暗い杉並木の長い參道をすゝむと 赤塗りの随神門がある。ここを過ぎると道は少し上りになり やがて渓流に沿って行くと奥社になる。八方睨(はっぽうにらみ)といはれる高峯で こゝへ登る途中には蟻の塔渡りの難所がある。奥社の近くには戸隠牧場がある。

持物
雨具(油神のやうなものでもいゝ) 夜着(女子だけ) 辨當(翌日の分も少し用意する) 水筒・手拭・新聞紙二枚・ちり紙・櫛(女子だけ) 歯ブラシ 草履(草鞋で行く人はこれを持って行くと都合はいゝ) 腹巻(又はこれに代るもの) 着替の下着1枚(なるべく冬物) こまごましたものは風呂敷又は袋にまとめて入れておくと都合がいゝ。持物には出來るだけ名前を記入しておく 服装は輕装(夏着) 草鞋・脚胖は山路には適する

注意
○宿泊について
1.夕食は六時頃。入浴はこの前後。就寝八時。起床五時。
2.自分の荷物 持物はきちんと整理しておく。ズック・靴下・手拭等は殊に氣をつける。又他人のものを使ってはいけない。
3.宿所の庭や附近の作物などをいためない。
4.遊ぶ場合にも遠くへは行かない。必ず三人以上で行く。
5.便所をよごさない。前夜又は翌朝必ず用便しておく。
6.就寝の際はおとなしくする。
7.朝は起床の合圖のあるまで眼がさめてゐても騒がない。
○道中について
1.木を折らない 2.列をみださない 3.休憩の時は必ず越を下して休む。 4.紙屑その他をちらかさない 5.水筒の水以外はなるべく飲まない 6.宝光社・中社の石段には氣をつける
○其の他
1.出發の朝になって急に行けなくなったものは、午前六時までに申し出る。
2.特に物品を新調しない。
3.學校で用意する以外の副食物は持参しない。


 「戦前の遠足」その参~鍋屋田国民學校高等科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3125/
 「戦前の遠足」その弐~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3124/
 「戦前の遠足」その壱~鍋屋田国民學校尋常科
  http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/3123/


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