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愛知県稲沢市祖父江にある善光寺東海別院(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像の前に立つ前立本尊の御開帳が行われています。
祖父江は、天正10年(1582)、織田信長の次男・織田信雄( Wikipedia )により善光寺如来が岐阜城下から尾張国(現:愛知県あま市)の甚目寺にお移りになる際に立ち寄られた地と伝えられています。
善光寺東海別院( Wikipedia )は、明治42年(1909)・43年(1910)、当時は蓮田だった境内地に1本の茎から2つの花が咲く(双蓮頭)という奇瑞(きずい=めでたいことの前兆として起こる不思議な現象)があり、これが縁となって、開基・旭住(きょくじゅう)上人が信州善光寺本坊大本願より善光寺如来を勧請して創立(山号:双蓮山、寺号:善光寺)されました。境内では、6月下旬から8月まで数種類の蓮を楽しむことができ、「蓮寺」としても知られています。
(写真:善光寺東海別院=16日午後撮影、640×480拡大可能)
平成27年度 祖父江 善光寺東海別院御開帳
4月5日 開闢大法要
5月8日 中日大法要
5月31日 結願大法要
<参考HP>
・ 祖父江 善光寺東海別院
http://www.zenkoji.com/
・ 全国善光寺会(中部地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
平成27年度 祖父江 善光寺東海別院 御開帳 | |
祖父江 善光寺東海別院 御開帳パンフ |
<ドライブメモ>
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岐阜県岐阜市にある善光寺安乗院(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像の厨子が開けられる御開帳が行われています。
戦国時代、武田信玄により信濃から甲斐(現:山梨県甲府市)へ移された一光三尊阿弥陀如来像(善光寺如来)は、天正10年(1582)の甲州征伐( Wikipedia )の際、織田信長により岐阜城下へ迎えられたものの、その年の6月に起きた本能寺の変で信長は斃れ、善光寺如来は信長の次男・織田信雄( Wikipedia )により尾張国(現:愛知県あま市)の甚目寺へ移られました。
岐阜善光寺( Wikipedia )は、信長の孫の織田秀信( Wikipedia )が、かつて善光寺如来が安置されていたこの地に稲葉善光寺堂を建立し、善光寺如来の御分身(御本尊)をお祀りしたことが始まりと伝えられています。
戦前は旧暦7月17日に公開されていたその御本尊でしたが、戦後は秘仏となり、その姿を拝むことはできませんでした。前回御開帳のあった平成21年から6善光寺同時御開帳に合わせ公開されるようになり、今回は戦後から数えて2度目の御本尊の御開帳となっています。
(写真:岐阜善光寺=16日午後撮影、640×480拡大可能)
平成27年度 岐阜善光寺御開帳
4月5日 開闢大法要
5月2日 中日法要(柴灯護摩供・火渡り)
5月31日 結願大法要
<参考HP>
・ 岐阜善光寺
http://gifu-zenkoji.jp
・ 全国善光寺会(中部地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
平成27年度 岐阜善光寺 御開帳 | |
岐阜善光寺境内の様子 | |
岐阜善光寺 御開帳パンフ |
<参考資料>
岐阜市指定重要文化財
木像釈迦如来坐像
安乗院に伝わる木像釈迦如来坐像は、時代的に古く、美術的に優れた仏像です。
像は、平安時代の作風を良く表しており、全体的に彫りが浅く、衣紋は流線的に表現されています。また、顔の表情は穏やかで、眼・鼻・髪などの細部にも時代の特徴が見られます。
像の伝承については確証はありませんが、明治時代の神仏分離で廃絶した満願寺(かつて伊奈波神社の神宮寺として所在)との関係も推測されます。
(岐阜市教育委員会設置の案内板から・平成17年)
伊奈波神社 |
岐阜善光寺から参道を進むと五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと=第11代垂仁天皇第一皇子)を主祭神とする伊奈波(いなば)神社があります。
案内によれば、五十瓊敷入彦命は勅命により河内・大和・美濃などの諸国に、地溝八百をひらいて農事に努めたほか、物部十千根命の協力を得て、奈良の石上神社に神剣千口を納めるなど、農耕や軍事に活躍されました。
神社は五十瓊敷入彦命の遺徳を偲び創建され、天文8年(1539)、斎藤道三が稲葉山に居城するに際し丸山から移され、現在に至っています。
<参考資料> 伊奈波神社の文化財
国重要文化財
太刀 銘景依造(めいかげよりぞう)
備前国長船派の名光、景依によって作られた鎌倉時代の太刀です。備前長船といえば名刀の代名詞で、備前国(現在の岡山県東部)に流れる吉井川の下流に位置し、鎌倉時代から室町時代を通してたくさんの名工を輩出し、数々の名刀を生み出しました。
この太刀は長さ七十七.三cm、反りが三.三cmで、全体的に細身で切先(刀の先端部分)が小さく、腰反り(反りの中心が刀身の中央より手元近くにあたるものをいう。備前刀に多いので備前反りともいう。)の上品な姿をしています。棟(刃と反対側の背の部分)には戦いによってついたと思われる切込みが残っていて、武士の存在を感じさせます。
県重要文化財
石造狛犬
阿形(像高二十九cm)、吽形(像高三十一cm)両方とも欠失がほとんどなく、全体に柔らかい丸やかな曲線で彫られ、量感に富んでいます。中国宋の様式を受けた造形で、各務原市の手力雄神社の狛犬(県重要文化財)と極めてよく似ています。
狛犬の阿吽一対に「天正四年九月吉日」「奉修誦諸願成就所」「愛宕」「濃刕厚見郡岐阜」「多和田新八直房」の陰刻銘があり、寄進者の名前を、安土桃山時代に伊奈波神社の祀られている愛宕社の奉納されたことが分かります。
県重要文化財
木造獅子頭
全体は黒漆、耳・鼻孔・口は朱漆、歯は金箔が施され、眼には銅版をはめた迫力のある姿です(高さ三十cm、幅三十九cm)。
口内の鼻柱の裏側に「御因幡□□□」、上顎に「濃州厚見郡岐阜」「大工 福竹宗左衛門」「杣(そま) 松山彦□□」「ぬり 神崎徳右衛門」「朱 波多□( )」「かなく 平田九郎次郎」「( )はり太彦右門」「慶長弐拾年乙卯二月吉日 塩谷□太夫」と墨書銘があります。獅子頭の制作に携わった人物について詳しいことはわかっていませんが、いずれも岐阜町の人たちであると思われ、江戸時代初期に奉納されたことが分かります(末尾の塩谷□大夫は伊奈波神社の神職の名前です)。
県重要文化財
美濃国第三宮因幡社本縁起
伊奈波神社の主神五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)をはじめ、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)・渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)・彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)・物部十千根命(もののべとちねのみこと)など諸配祀の事績と伊奈波神社に関する由緒が記されています。
市重要有形民俗文化財
山車 四台
(安宅車・蛭子車・清影車・踊車)
江戸時代後期から大正時代に造られ、地域の人々の力で震災や戦災等、苦難の中を守られ続けた貴重な山車です。
現在も毎年四月第一土曜日に行われる岐阜まつりで奉曳され、からくり人形を有している安宅車(昭和三十三年十一月十三日指定)、蛭子車(ひるこしゃ・昭和五十四年三月十九日指定)、清影車(せいえいしゃ・昭和五十四年三月十九日指定)では、能の演目の一部が上演されます。
(岐阜市教育委員会設置の案内板から・平成26年)
<参考資料>
岐阜県指定重要文化財
美濃国第三宮因幡社本縁起
縁起とは、社寺にまつわる古来からの伝承や祭祀について書き記した文書のことです。
伊奈波神社に伝わる美濃国第三宮因幡社本縁起(みのこくだいさんぐういなばしゃほんえんぎ)の奥書によると、天平十四年(西暦七四二年)の古い縁起が紛失していたため、延文四年(西暦一三五九年)に作り直したが、それも破損したので、文明四年(西暦一四七二年)に美濃国守護代の斎藤妙椿(さいとうみょうちん)が書道の名家に命じて書き改めさせて奉納したと伝えられています。
(岐阜市教育委員会設置の案内板から・平成17年)
<参考資料> 満願寺跡
江戸時代、伊奈波神社境内には満願寺という寺(今は廃寺)がありました。この満願寺の境内に小屋が組まれ、記録では美濃で最も古い人形浄瑠璃が盆と春秋の彼岸に上演されました。
元禄時代に入ると、江戸や上方で流行した近松門左衛門の作品も上演され大いに賑わいました。その後、あやつり人形・芝居だけでなく、相撲興業も許され満願寺の芸能は岐阜町の人々に支援されていましたが、天明五年(一七八五)に尾張藩から芝居興業禁止令が出されて以後、徐々に興業ができなくなり、明治に入ってまもなく姿を消しました。
(岐阜市教育委員会設置の案内板から・平成13年)
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岐阜県関市にある関善光寺(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像の厨子が開けられる御開帳が行われています。
案内によれば、関善光寺( Wikipedia )は、江戸時代の宝暦4年(1753)、武田家家臣であった広瀬利広から5代目の広瀬新太郎利忠が祖父母供養のため小庵を建て、利忠が亡くなった後、7代目の利香が現在の大仏殿(旧本堂)を建立したことが始まりとされています。
現在の本堂は、寛政14年(1804)、長野善光寺大勧進 等順大和尚が出開帳の際に立ち寄り、多くの参詣者で賑わったことが縁となり、文政10年(1827)、約10年の歳月を経て現在の本堂が建立されました。
(写真:関善光寺=16日午前撮影、640×480拡大可能)
平成27年度 関善光寺御開帳
4月5日 開闢大法要
4月26日 中日大法要・稚児行列
5月31日 結願大法要
<管理人ひとこと>
御開帳期間中は専用駐車場が満車になる場合があります。
御朱印の受付は本堂左手にあります。
<参考HP>
・ 関善光寺
http://www.seki-zenkoji.jp/
・ 関市観光協会
http://www.sekikanko.jp/
・ 全国善光寺会(中部地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
平成27年度 関善光寺 御開帳 | |
御開帳で賑わう境内 | |
行者堂 | 大梵鐘 |
平成27年度 関善光寺 御開帳パンフ |
<参考資料> 宝冠大日如来
仏教文化華やかなりし唐の玄宗時代、(約一千二百年前)に鋳造された仏像中で名作といわれ、我が国では極めて珍しい高さ約五メートル、千十三体の仏像を浮刻した大蓮台の上の慈眼温容の金銅坐像で、平成八年四月に落慶した八角の堂内に御本尊として安置され、結ばれた印形も非常に珍しく金胎両界に通じる霊験あらたな仏像です。(境内八角堂に安置)
<参考資料> 大仏殿(摂取殿)
丈六阿弥陀如来 |
比叡山智堂大和尚を開基として宝暦三年(一七五三)一品親王の命により大垣市青墓竹本院の古跡を安桜山麓の当所に移し、名主新屋広瀬新太郎利忠が祖父母の供養の為に建立せられました。御本尊の丈六阿弥陀如来は木像仏として県下最大、約五百年前の作で、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩と共に岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置され、その御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行儀菩薩御作といわれ、「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。
<参考資料> 行者堂
役行者 別名
高祖神変大菩薩
役小角(エンノオズメ)・役優婆塞を祀る
我国修験道の始祖 西暦六三四~七〇一 舒明~大宝年間の人。大和葛城に生る、幼少より三宝に帰依し、葛城山の岩窟に隠棲、草衣木食して心身の垢離をとり、秘術を修すること三十年、孔雀明王の像を拝し、遂に呪術を以って鬼神を駆使するに至る。富士、金峯箕面の各山等々を登攀跋渉す、今日本各地の霊山の役行者の祀らざるはないとさえ謂れる。
(美濃篁講 関善光寺設置の案内板から)
<参考資料>
岐阜県重要文化財 大梵鐘
太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製、(一五四〇)の浮刻あり、明の十二世、世宗の時代の鋳造で重さ三トン県下最大の大梵鐘で国内で数少ない名鐘の一つ、鳴り響く鐘声は、世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈願しております。
弁慶庵 惟然記念館 |
<参考資料>
関市史跡 弁慶庵 惟然記念館
弁慶庵「惟然(いねん)記念館」は芭門十哲の一人、広瀬惟然( Wikipedia )の旧跡である。惟然は、この地に草庵を結び、日常、膳椀など七つの器だけで簡素な生活をしていたことから、七器山(しちきざん)弁慶庵と名付け、ここを本拠として、芭蕉をはじめ多くの俳人を全国各地にたずね歩き、吟行三昧に明け暮れしていたが、晩年はこの草庵にもどり、
年の雲 故郷に居ても ものの旅
を最後の吟とし、宝永八年(一七一一年)二月九日、六四歳で没したといわれている。
この史跡内には
鳥落人墳(ちょうらくじんづか) 宝永八年卯二月九日并建焉
と陰刻した笠塚があり、
安心惟然居士
の墓碑もある。また、近くの本寺である香積(こうじゃく)寺には、惟然の位牌も安置されている。
庵は、宝永二年(一七〇五年)、父を慕った惟然の娘、智鑑尼(ちがんに)が入庵し、その後、智鑑尼を第一世とし、代々尼寺として引き継がれた。
もともと弁慶庵は入母屋造りの茅葺で、修改築を重ねてきたが、老朽したため解体し、惟然記念館「弁慶庵」として再建した。
(関市教育委員会設置の案内板から・平成5年)
関鍛冶始祖 元重翁之碑 |
<参考資料>
関鍛冶始祖 元重(もとしげ)翁之碑
この碑は、関鍛冶の始祖と伝えられる元重を顕彰し、関の刃物産業の発展を願って、大正四年(1915)に建立されました。
始祖を元重と伝える最古の史料は、宝徳二年(1450)に、美濃国守護代斎藤利永によって編纂された「美濃国鍛冶系図」です。その筆頭に記された元重には、「濃州(のうしゅう)関鍛冶之初也、本国九州之住人也」と注記があり、鎌倉時代末頃の人と考えられています。
以来、「折れず、曲がらず、よく切れる」という、刀にとって不可欠の要素を追求してきた関の刀剣は、後に「関伝(せきでん)」と称されるようになり、戦乱期の室町時代中期から末期にかけて、大いに隆盛をきわめました。刀鍛冶の代表流派は、美濃(関)伝の他に、大和、山城、備前、相州(そうしゅう)の各伝がありますが、その伝統を引き継ぎ、今日にいたるもなお「刀都(とうと)」とよばれているのは関市のみです。
中世に始まった伝統技法を、多くの先人のたゆみない努力で保持し発展させてきた関にとって、元重を「刀祖」として崇敬することが、地場産業のかぎりない躍進と、ハイテクノロジーへの挑戦を願うものの心の表れといえます。そうした心をこめて、毎年11月8日には、この碑の前で元重を称える「ふいご祭り」がとり行われています。
(元重保存会設置の案内板から)
<ドライブメモ>
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飯田市座光寺の元善光寺(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像(秘仏)の前に立つ前立本尊の御開帳が行われています。
元善光寺( Wikipedia )は、善光寺の開祖でもある本田善光(ほんだよしみつ)が生まれた場所で、善光が難波の掘江から善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像を、信州に初めてお迎えした場所として知られています。阿弥陀如来像は、その後、芋井の里(現在の長野市)に遷座されますが、長野の善光寺に安置されている御本尊と同じ木像の阿弥陀如来がこの地に残され、人々の信仰の対象となりました。
境内には回向柱が立ち、前立本尊と「善の綱」で結ばれている様子は長野市の善光寺と同じ。回向柱に触れることで、御本尊と縁を結ぶことができるようになっています。また、御開帳期間中は「座光の臼」や寺宝を安置する宝物殿、西国三十三所札所の観世音菩薩御開帳の拝観、お砂踏みが無料になっています。
(写真:元善光寺=5日午後撮影、640×320拡大可能)
平成27年度 元善光寺御開帳
4月5日 開闢大法要
4月26日 中日大法要
5月10日 慰霊祭大法要
5月31日 結願大法要
<管理人ひとこと>
御開帳期間中は専用駐車場のほか、臨時駐車場も満車になる場合もあります。
御朱印所は階段を上がった右手にあります。
< 参考HP>
・ 元善光寺
http://www.motozenkouji.or.jp/
・ 全国善光寺会(北陸・信越地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
・ 歴史とくだものの里 座光寺
http://zakoji.jp/
・ 南信州ナビ
http://www.ii-s.org/
<参考資料> 元善光寺の由来
元善光寺は、今から約一千四百年前第三十三代推古天皇十年に、本多(※)善光卿によって開かれたという。
善光卿は麻績(おみ)の里の出で、国司に随って都に上り、ある時難波の堀江で一光三尊の如来にめぐりあい、これを背に負って故里に帰り臼を浄めて安置し奉った。これがこの寺の創りである。
臼はかくしゃくとして輝き、御座光の臼とよばれて今もこの寺の霊宝となっている。里を座光寺と称するのもこの縁によるものであろう。
四十一年を過ぎ、第三十五代皇極天皇二年、勅命によって本尊は芋井の里に遷された。今の長野善光寺がそこに始まる。この時同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ、寺は元善光寺とよばれるようになった。
善光寺の名は本多善光卿の名に基き、元善光寺の元は本元の意で、古来善光寺に参詣するだけでは片参りになると言い伝えられた。
この寺の由緒の深さをもの語るものといえよう。
(飯田観光協会設置の案内板から・昭和45年)
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長野市の善光寺で9日、中日庭儀(ちゅうにちていぎ)大法要が営まれました。
今回は大本願と浄土宗の一山十四坊の僧による儀式。「水冠(すいかん)」と呼ばれる舟型の帽子を被り、豪華な法衣をまとった僧たちの姿が印象的でした。
(写真:中日庭儀大法要=9日午前撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
厳かな儀式が始まり、稚児行列が三門を通過して、僧たちが境内に入った直後に、空撮をしていた無人飛行機「ドローン」が空から落下するというできごとがありました。幸いにも事故には至りませんでしたが、厳粛な法要の場においてこのような行為が行われたことは残念でした。
<参考HP>
・ 善光寺御開帳公式サイト
http://www.gokaicho.com/
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